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明成皇后・韓国ドラマ|日本人も関与!朝鮮王国の王妃暗殺事件!

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高宗・第26代王/大韓帝国初代皇帝
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  1. 韓国ドラマ「明成皇后」の概要
    1. 韓国ドラマ「明成皇后」の演出・脚本・受賞など
    2. 韓国ドラマ「明成皇后」主なキャストと代表作
    3. 韓国ドラマ「明成皇后」あらすじ
  2. 韓国ドラマ「明成皇后」のキャストについての感想
    1. 俳優・女優の顔ぶれがすごい!
    2. 今、人気の主演級俳優が、青年・少女時代の子役として登場!
  3. 韓国ドラマ「明成皇后」のストーリーの見どころ
    1. 歴史劇といっても、家族愛・夫婦愛なども描いた場面が多い!
    2. 歴史と異なる演出?明成皇后の美化された人柄
    3. 明成皇后に対する外国側の記録
    4. 朝鮮王国後期の実際にあった歴史の一部始終が詳細に描かれている!
    5. 子宝に恵まれないのは、不運なのか?人災なのか?
    6. 明成皇后は仁顕王后の子孫!
  4. 韓国ドラマ「明成皇后」で描かれた史実!《一部にネタバレあり》
    1. 興宣大院君は極貧生活の中で、息子の玉座を強く欲した!
    2. 大王大妃趙氏を騙し、手に入れた権力!
    3. 興宣大院君の政治力
    4. 興宣大院君の【対外政策について】
    5. 《驚愕》本当にあった未解決事件!興宣大院君が黒幕と噂された事件
    6. 興宣大院君は民にとって、偉大な存在だった!
    7. 興宣大院君が王の権力に固執した理由とは?
    8. 閔氏政権を打倒する壬午軍乱(壬午事変)とは?
    9. 明成皇后は、壬午軍乱の時、実際には、どうやって逃げ出した?
  5. 史実なのか?フィクションか?
    1. 生存している明成皇后のお葬式を行なう興宣大院君《史実》
    2. 興宣大院君を清国に拉致!《史実!》
    3. 興宣大院君が贈った朝鮮人参で明成皇后は流産したのは本当?
    4. 肛門の無い赤ちゃんを出産!《史実》
    5. 興宣大院君と明成皇后は、和解したのか?《フィクション》
  6. 明成皇后の暗殺事件(乙未事変)
    1. 日本が明成皇后を暗殺したくなった理由とは?
    2. 明成皇后の殺害(乙未事変)を主導した三浦梧楼は実在人物!《史実》
  7. 韓国ドラマ「明成皇后」の動画視聴を楽しむには?
    1. 動画配信状況

韓国ドラマ「明成皇后」の概要

韓国ドラマ「明成皇后」の演出・脚本・受賞など

※上記のYouTube動画は、ミュージックビデオであり、ドラマとは関係のない場面が含まれています。

【話数】全124話
【プロデューサー】ユン・ヨンフン
【演出】ユン・チャンボム/代表作「ソウル1945」「百済の王-クンチョゴワン-」「漆黒の四重奏<カルテット>」、シン・チャンソク/代表作「一途なタンポポちゃん」「千秋太后」「大王の夢〜王たちの戦争〜」「武人時代」
【脚本】チョン・ハヨン/代表作「甘い人生」「王と妃」「インス大妃」「花たちの戦い〜宮廷残酷史〜」「欲望の炎」
【制作】KBSの大河ドラマ、2001年5月-2002年7月に放送、 制作会社サムファネットワークス
【受賞】
☆2001年度KBS演技大賞で、最優秀演技賞(イ・ミヨン)・助演賞(キム・ソンファン、キム・ボミ)・今年のPD賞(ユン・チャンボム)の3部門で受賞。
☆2002年度KBS演技大賞で、ユ・ドングンの大賞をはじめ、最優秀演技賞(チェ・ミョンギル)・助演賞(キム・ソンリョン)の3部門で受賞。
☆第38回百想芸術大賞テレビ番組部門最優秀演技賞(男優部門:ユ・ドングン)が受賞。

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韓国ドラマ「明成皇后」主なキャストと代表作

俳優・女優(役名) 過去の出演ドラマ・映画
★イ・ミヨン(80話まで)
(明成皇后の成年期役)
第26代朝鮮王高宗の正妃。閔妃。仁顕王后の兄・閔鎮厚の5代孫。
・「キム・マンドク〜美しき伝説の商人」
・「恋のスケッチ〜応答せよ1988〜」
・映画「ハッピーログイン」
★イ・ジヌ
(第26代朝鮮王 高宗役)
・「大王世宗」
・「王と妃」
・「大王の夢」
★ユ・ドングン
(興宣大院君役)
高宗の父。大院君(テウォングン)。閔妃(明成皇后)の義父であり政敵。
・「鄭道傳」
・「淵蓋蘇文」
・「龍の涙」
・「ザ・バンカー
★チェ・ミョンギル(81-124話)
(明成皇后の壮年期以降役)
・「龍の涙」
・「大王世宗」
・「百済の王 クンチョゴワン」
・「栄光のジェイン」
★キム・ヨンリム
(大王大妃趙氏役)
孝明世子の妃。第24代国王憲宗の母。高宗を養子にする。
・「私はチャン・ボリ!」
・「アチアラの秘密」
・「最高です!スンシンちゃん」
・「烏鵲橋(オジャッキョ)の兄弟たち 」
★イ・ドッキ
(驪興府大夫人閔氏役)
大院君の妻。李載冕と高宗の実母。※仁顕王后の弟:閔鎭永(後妻である豊壌趙氏の息子で養子)の子孫にあたる。
・「王と妃」
・「インス大妃
・「胸部外科」
・「鄭道傳」
★ハン・ボミ
(李載冕/イ・ジェミョン役)
高宗の兄。大院君の長男。
・「大祚榮(テジョヨン)」
・「不滅の李舜臣」
・「張禧嬪」
・「光宗大王」
★イ・ヨンフ
(興寅君役)
大院君の兄。
・「インス大妃
・「大王の道」
・「張禧嬪」
・「龍の涙」
★オム・ユシン
(興寅君の妻役)
・「チャングムの誓い」
・「ホジュン~宮廷医官への道~」
・「龍の涙」
・「張禧嬪」
★ソヌ・ウンスク
(感古堂李氏役)
閔致祿(ミン・チロク)の妻。閔妃の母。閔升鎬(ミン・スンホ)邸に滞在中爆弾テロに巻き込まれ死去。韓昌府夫人。
・「棘<トゲ>と蜜」
・「秋の童話」
・「オールイン」
・「黄金の帝国」
★キム・ヒョウォン
(閔升鎬/ミン・スンホ役)
閔致祿の養子。閔妃の義兄。閔一族の勢道政治において実権をふるったが、爆弾テロに遭い死去。大院君の妻の実弟。実弟に閔謙鎬。
・「軍師リュ・ソンリョン」
・「武人時代」
・「海神(ヘシン)」
・「百済の王 クンチョゴワン」
★パク・ヨンジ
(金炳學/キム・ビョンハク役)
安東金氏出身の朝廷の実力者。興宣大院君を手厚く待遇し、大院君が政治的実権を握ってからは要職を歴任した。大院君の信頼が厚い。
・「大王世宗」
・「トンイ」
・「弁護士の資格~改過遷善
・「馬医」
★ソン・ジェホ
(金左根/キム・ジャグン役)
安東金氏の首長。
・「龍の涙」
・「張禧嬪」
・「ミス・リプリー」
・「サイン」
★チェ・サンフン
(趙寧夏役)
豊壌趙氏。大王大妃趙氏(チョ氏)の遠縁。甲申政変で殺害される。
・「大祚榮」
・「ファン・ジニ
・「大王世宗」
・「広開土太王
★キム・ジュヨン
(李景夏/イ・ギョンハ役)
王宮の近衛隊長。
・「大王世宗」
・「大祚榮」
・「王と妃」
・「剣と花」
・「武神
★ホン・イルグォン
(洪啓薫/ホン・ゲフン役)
朝廷に仕える武官でホン尚宮の兄。壬午軍乱時に明成皇后を護衛し、信頼を得る。乙未事変時に明成皇后を守ろうとして殺害される。
・「軍師リュ・ソンリョン 」
・「炎の中へ」
・「大王の夢」
・「王女の男」
・「武人時代」
★イ・ビョンウク
(金玉均/キム・オッキュン役)
急進開化派の一人。閔一族の打倒を掲げ、日本軍の力を借りて甲申政変を起こしたが、失敗し亡命先で暗殺される。※ドラマでは、高宗と共に、明治維新後の日本に学び、日本の協力を得ながら清国からの自主独立国家を目指そうとしたが失敗。日本に亡命後、上海で暗殺された。
・「大王世宗(テワンセジョン)」
・「王と妃」
・「チュノ~推奴~」
・「キム・マンドク」
・「百済の王 クンチョゴワン」
★キム・ビョンギ
(岡本柳之助役)
大陸浪人。乙未事変の主導者の一人。
・「朱蒙」
・「千秋太后」
・「キム・マンドク」
・「風の国」
・「ホジュン~伝説の心医~」
★イム・ヒョク
(三浦梧楼役)
日本公使。日本陸軍軍人。乙未事変の主導者の一人。
・「大祚榮」
・「千秋太后」
・「チャン・ヨンシル」
・「軍師リュ・ソンリョン」
・「大王の夢」
★パク・クニョン
(井上馨役)
日清戦争のときの日本公使(日本の外務大臣)。成果を挙げられないまま帰国。三浦梧楼の前任者。
・「模範刑事2」
・「復讐代行人」
・「クリミナル・マインド」
・「私が恋した男オ・ス」
・「メモリスト」
★ムン・グニョン(1-9話)
(ミン・ジャヨン/明成皇后の少女期役)
・「風の絵師
・「火の女神ジョンイ」
・「シンデレラのお姉さん」
・「アチアラの秘密」
・「メリは外泊中」
★イ・イン
(高宗の青年期役)
・「風の絵師」
・「千秋太后」
・「大王世宗」
・「チュノ~推奴~」
・「百済の王 クンチョゴワン」
★イ・ユリ
(純明孝皇后役)
純宗の妃。閔台鎬(ミン・テホ)の娘。
・「かくれんぼ
・「復讐のカルテット
・「私はチャン・ボリ!
・「福寿草
★パク・ウンビン
(純明孝皇后の少女期役)
純宗の妃。閔台鎬(ミン・テホ)の娘。
・「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」
・「恋慕」
・「ストーブリーグ
・「千秋太后」
・「ホジュン〜伝説の心医〜」
★チョン・ソンギョン
(李尚宮役)
高宗の初恋の人で側室になるが、明成皇后に嫉妬され、宮中を追い出される。完和君の母。永保堂貴人李氏。
・「花たちの戦い~宮廷残酷史~ 」
・「むやみに切なく」
・「キレイな男」
・「武人時代」
・「ソドンヨ」
★キム・ソンリョン
(ミチコ役)
ヨシムラの妻。明成皇后に近づくスパイとして朝鮮に来ていた。乙未事変において、明成皇后暗殺計画を助ける。
・「キミはロボット
・「相続者たち
・「美男ですね
・「大王世宗」
・「王と妃」
★イ・ドゥソプ
(ヨシムラ役)
ミチコの夫。書記官。
・「王と妃」
・「花たちの戦い~宮廷残酷史~」
・「大王世宗」
・「チャン・ヨンシル」
・「インス大妃
★役者名不明
(花房義質役)
壬午軍乱のときの日本公使。1880年4月、日本政府は漢城への日本公使の常駐化を決定、初代公使として花房義質を任命。
★俳優名不明
(竹添進一郎役)
甲申政変のときの日本公使。
★俳優名不明
(小村寿太郎役)
乙未事変後の日本公使。三浦梧楼の後任者。
★ハ・ソウィ
(洪鐘宇役)
尊王派。金玉均を暗殺する。
★イ・ジェウン
(チャン尚宮役)
高宗の側室。義和君(ウイファ君)の母。貴人張氏。
・「インス大妃
・「淵蓋蘇文」
・「龍の涙」
★ユン・ジュサン
(伊藤博文役)
日本の総理大臣。
・「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」
・「医心伝心」
・「サイン」
・「鉄の王キム・スロ」
・「幻の王女チャミョンゴ」
★俳優名不明
(陸奥宗光役)
日本の外務大臣。
★パク・チンソン
(袁世凱/エンセイガイ役)
清の軍人。
・「淵蓋蘇文」
・「王と妃」
・「龍の涙」
・「光宗大王」
★チョン・ウィガプ
(岡本の手下役)
大陸浪人。
・「太宗イ・バンウォン」
・「広開土太王
・「帝王の娘スベクヒャン」
・「大王世宗」
・「淵蓋蘇文」
★チョン・ソンモ
(金炳基/キム・ビョンギ役)
キム・ジャグンの息子。安東キム氏一族。
・「ペントハウス
・「帝王の娘スベクヒャン」
・「武神
・「製パン王キム・タック」
・「善徳女王」
★パク・チョロ
(金炳国/キム・ビョングク役)
キム・ビョンハクの弟。
・「千秋太后」
・「百済の王 クンチョゴワン」
・「王女の男」
・「大王の夢」
・「軍師リュ・ソンリョン」
★俳優名不明
(李 鴻章役)
清国の北洋大臣。
★俳優名不明
(馬建忠役)
壬午事変が発生すると興宣大院君を拉致し、清国へ連行した。李鴻章の幕下で、李鴻章により朝鮮に派遣された。
★イ・デロ
(崔益鉉/チェ・イクヒョン役)
儒者。興宣大院君の財政政策と鎖国攘夷政策を非難する上疏を提出、大院君失脚の政変(癸酉政変)のきっかけを作った。
・「武神
・「仮面の王イ・ソン」
・「大王の夢」
・「広開土太王
・「淵蓋蘇文」
★俳優名不明
(朴 泳孝役)
第25代朝鮮王哲宗の翁主永恵翁主(新婚3ヶ月後逝去)の王婿。金玉均らと共に開化党(独立党)を結党。甲申政変に失敗し、日本郵船の「千歳丸」で日本へ亡命。1894年甲午改革が始まると、帰国して内務大臣となるが、1895年謀反の疑いをかけられ、また日本に亡命。 朝鮮総督府が編纂した”朝鮮功労者名鑑”に収録されている朝鮮人功労者353人のうちの一人。

韓国ドラマ「明成皇后」あらすじ

先代王・哲宗(チョルジョン)の喪が明け、第26代王・高宗(コジョン)の妃選びが始まったことで、宮廷内には政争の火種がくすぶり始める。

13歳で王位に就いた高宗の執政を補佐してきた大王大妃 趙(チョ)氏は、これを機に摂政役を退くことを宣言するが、権力をむざむざ手放すつもりなどなく、何事かを画策しているようだった。

高宗の父・大院君の悩みの種はそればかりではない。

彼の長年の悲願でもある宮廷の権威復興のための大事業、景福宮の再建は遅々として進まず、あろうことか高宗が宮女と情を通じていたことも明らかになった。

後々外戚が政治に干渉してくることを避けるため、王妃は貧しく権力争いとは無縁の家系から選ばなければならない。

王妃選びを急ぐ大院君が目をつけたのは妻の遠縁にあたるしとやかな閔(ミン)氏の娘、後の明成皇后
その人であった…。

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韓国ドラマ「明成皇后」のキャストについての感想

俳優・女優の顔ぶれがすごい!

韓国ドラマ「明成皇后」は、KBS大河ドラマなだけあり、主演のユ・ドングン、イ・ミヨン、チェ・ミョンギルをはじめ、脇を固めるのは、「王と妃」「龍の涙」「大王世宗」などをはじめ、韓国ドラマの歴史劇には欠かせないベテラン俳優が勢ぞろいしています。

主役の明成皇后役のイ・ミヨンは、80話までという契約だったため、実際の出演は、79話迄。80話に姿を現さず、興宣大院君が少女時代を思い出すという回想シーンのミン・ジャヨン(後の明成皇后)を演じる女優ムン・グニョンばかりが登場し、81話から、チェ・ミョンギルが晩年の明成皇后を演じます。

ドラマ上、期間が空いているわけではないため、この不自然な女優の交代に、韓国では、視聴率が下がるということがあったらしいですが、

女優チェ・ミョンギルは、このような政治に口を出す強い王妃役を、他のドラマでも演じているため、日本を脅かす明成皇后としての威厳が感じられて良い抜擢だったと個人的には思いました。

また、同様に、俳優ユ・ドングンの演じる興宣大院君の怒鳴り声・威厳・気難しい人柄・腹黒さなどが、まさに役柄にぴったり!ユ・ドングン氏の出演ドラマの中で、一番イメージが合っている素晴らしい演技!だと感じました。

そして、女優キム・ヨンリムさんの演じる大王大妃の眼光が鋭い感じの演技力が素晴らしい!です。

年寄りを甘く見るな!と言わんばかりの眼光がキラリと、怖いほどです。

今、人気の主演級俳優が、青年・少女時代の子役として登場!

ミン・ジャヨン(後の明成皇后)を演じる女優ムン・グニョンさんは、回想シーンを含めて何度も登場しますが、

ミン・ジャヨンの聡明で、あどけない姿は、後の「風の絵師」とは大違いなほど物静かな姿で、結婚式の初夜から高宗に相手にされず、1人涙で待ち続ける場面は、明成皇后への同情を誘います。

一方、王妃を、そんな可哀そうな扱いをする高宗役(10代の青年期)は、「風の絵師」で義兄の役として共演した俳優イ・インが務めています。

現在では、復讐劇などで高い視聴率を出す女優イ・ユリは、純宗の妃役を演じますが、大事な世継ぎを授かることが出来ずに、王宮に居たたまれない気持ちを何度も涙目で演技します。

この頃から、薄幸なキャラがすでに出来上がっている!と思えるような演技力です。

そして、「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」で人気急上昇中の女優パク・ウンビンも子役として出演しています。

純明孝皇后の少女時代を演じますが、セリフがまだほとんどない子役時代初期の頃になります。

ベテラン俳優に囲まれて、ニコニコ座っている姿が可愛いパク・ウンビンの少女時代が見られます。

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韓国ドラマ「明成皇后」のストーリーの見どころ

歴史劇といっても、家族愛・夫婦愛なども描いた場面が多い!

朝鮮王第26代高宗の母役イ・ドッキさんは、夫(興宣大院君)の味方をしたり、今度は息子(高宗)の味方をしたかと思えば、嫁(明成皇后)を責めたり、助けたり・・。

家族の間で、中立的な立場から、右往左往しながら、叱責を繰り返す姿に、家族愛が感じられます。

このように、脚本の中に、ただの歴史劇ではなく、家族愛が権力や立場から引き裂かれていく心情も描きたいのだと伝わってきます。

実際に、殺された家族、残された家族、加害者側、被害者側、すべて家族・親族・外戚という身近な人間関係の間柄の中で、悲劇的な事件が何度も起きており、

年表からは知ることができない当時の歴史人物たちの心情を巧みに描いています。

それぞれの俳優女優が、自分の役柄を見事に演じきったからこそ、長編ドラマと言えども、飽きることのない、見応え抜群の歴史ドラマです。

歴史と異なる演出?明成皇后の美化された人柄

主役は、明成皇后なので、最後まで、立派な女性として描かれていますが、資料を読み返すと、実際には、国内では評判の悪いことが多く書かれています。

その中には、「お祓い」にかなりのお金を使ったことが挙げられますが、ドラマの中では、「お祓いに使った」ように周囲を騙し、実は「宮殿を守るための新式銃を購入するお金だ。」と描くなど、

特に、明成皇后の晩年は、フィクションと思われる内容が多く含まれるようになります。

中でも、興宣大院君と明成皇后が仲直りをして、手に手を取って、協力しながら日本に抗おうとするところなどもあります。

本来は、対立しているはずの二人が仲直りをするためには、フィクションは必須!

最終回間近では、明成皇后の亡骸を、興宣大院君の手で大切に葬ってあげる場面は、フィクションと言えども感動的ではあります。

ドラマのテーマの一つに、家族愛があることから、このような争ってばかりいた家族の結びが微笑ましい姿になることで、楽しめる演出・脚本のドラマと言えます。

明成皇后に対する外国側の記録

ところが、明成皇后に対する外国側の記録は、この韓国ドラマ「明成皇后」の印象に近いコメントが残されています。

【19世紀末、韓国に行ったイギリス人の夫人】

王妃は細かくて美人だった。 …目は鋭く、優れた知性の持っていることがわかりました。明瞭で野心的で、策略にも堪能なだけでなく、非常に魅力的で多くの面で、とても愛らしい女性だった。

 

【宣教師A氏の妻】

彼女の知識は、主に中国の書物で得たものだったが、世界の強大国とその政府についてよく知っていた。彼女は私に多くの質問を投げ、自分が聞いたことをすべて覚えていました。彼女は繊細な感覚を持った有能な外交官であり、反対勢力の虚を突くことができた。 …彼女は日本に反対し、愛国的で、朝鮮の利益のために体を捧げていた。 …彼女はアジアのどんな王妃よりもそのレベルをはるかに上回る女性だった。

 

【当時の日本人のコメント】

価。

※各コメントは韓国サイト「naver」を引用したもので、翻訳により、言葉のニュアンスが一部異なる場合があります。

海外での記録は、明成皇后は、賢だったとのコメントもあり、によってはりしたっただったとの評価が多く残されています。

まさに、韓国ドラマ「明成皇后」内でも、宮殿に電球を灯したり、海外(欧米諸国)の外交官を集めた洋式パーティーを開いたり、

派手に外交を行ないながら、外国の新しい文化を、朝鮮王国や宮殿に取り入れようとする姿が描かれています。

ドラマ内の台詞に、明成皇后は高宗に対して、

「もしも、自分が亡くなった時、日本が侵略をしてくれば、ロシアの力を借り、今度はロシアが侵略をしようとするなら、その他の国の力を借りても、生き残るように!」

と、アドバイスをします。

そして、危険を察知した高宗は、実際に、ロシアの領事館に逃げ込んでいます。

このように、明成皇后は、政治に介入し過ぎて、日本にとって悩みの種となっていたため、王妃にも関わらず、暗殺を目的とした軍隊が送られることになります。

この朝鮮国内と各国の印象の差を見ると、明成皇后は、民を見守る母親的な王妃(国母)としては失格だったのかもしれませんが、政治家としては、優れた女傑だったのかもしれませんね。

朝鮮王国後期の実際にあった歴史の一部始終が詳細に描かれている!

当然のことながら、実在人物の会話は、脚色になりますが、起きた事件や騒乱の多くは、歴史の実話を引用しているため、この60年も続いた安東キム氏の勢道政治がどのように終わったのか?

興宣大院君と明成皇后の対立が多かった第6代国王高宗の時代の治世の様子。

そして、朝鮮国は清国と日本に挟まれて、日清戦争がどのように勃発したのか?の時代背景。

朝鮮王国が亡国となり、どのようにして大韓民国へとなったのか?

日本の有名な政治家も多く登場し、朝鮮王国・中国大陸・欧米諸国の歴史上の関係や流れの詳細が、大変分かりやすい構成となっています。

特に、驚いたことには、朝鮮王国の王妃(明成皇后)が、日本人も関係して暗殺されていた事実・詳細を、このドラマを通して、初めて知ることが出来ました。

なぜ、王様や興宣大院君ではなく、「王妃」という立場の女性が暗殺されたのか?

学校の教科書には無い真実がたくさん盛り込まれていて、日本の歴史の勉強にもなります。

子宝に恵まれないのは、不運なのか?人災なのか?

朝鮮王第23代純祖以来、なぜ、ここまで子宝に恵まれず、生まれても、すぐに亡くなってしまうのでしょうか?

※系図の詳しくは、サイト内記事▶朝鮮王朝後期の王族系図(荘献世子から純宗までの王妃・側室・子女)

朝鮮王朝後期の王族系図(荘献世子から純宗まで)~安東金氏の勢道政治
朝鮮王朝後期の荘献世子から純宗までの王族系譜を図にまとめてみました。すると、第23代王純祖の純元王后から、安東金氏の勢道政治が始り、それをを牽制するために神貞王后趙氏を正室に迎え、豊壌趙氏派を重用した孝明世子ほか、多くの王子・王女が不自然なほど、若くして夭逝しています。純元王后が垂簾聴政を行なうことで、安東金氏が一層勢力を伸ばしていった構図がよく分かります。

王権の弱い王や世子、多くの王子は、次々と若くして続けて亡くなっていくのは、偶然なのか?

疑問だけは、解決されませんでしたが、単なる国の運気の低迷なのか?

背後に策略でもあったのか?ミステリアスだからこそ、ドラマになります。

朝鮮後期の歴代の王妃、世子嬪が不妊症や王子や王女の早世で悩む姿が、現代女性でも、共感できる人も多いのではないでしょうか。

また、だからこそ、明成皇后は、お祓いに大金を費やしたのではないかとさえ思えますね。

明成皇后は仁顕王后の子孫!

明成皇后は仁顕王后の来孫(5代孫)になります。

仁顕王后(イニョンワンフ)は、19代国王粛宗の継妃で、1689年、禧嬪張氏と南人派の策略によって廃位され、実家で過ごし、貧困生活を強いられた5年後に、1694年、王妃に復位しました。

廃位の時、過ごしていた家が「感古堂」となります。

一方、明成皇后が、8歳の時に漢陽に移り、住んでいた家も「感古堂」です。

「感古堂」は、粛宗が仁顕王后閔氏の両親を世話をするために建て、父の霊廟としても使われましたが、その後は、子孫が墓守をしながら代々住み、明成皇后も父が亡くなった後の貧しい時代の生活をここで暮らしていました。

「感古堂」は何度か、修理や移転が行われているため、当時よりも、異なる部分も多くあるそうです。

「感古堂」の扁額は、1761年、第21代国王英祖が、直接書いて、下賜したものと思われています。

韓国ドラマ「トンイ」では、みすぼらしい小さな小屋で仁顕王后閔氏が廃妃となって過ごしていますが、実際に廃妃の時に過ごした感古堂は、両班らしい家屋となっています。

感古堂①

感古堂の扁額と表門

韓国ドラマ「明成皇后」で描かれた史実!《一部にネタバレあり》

興宣大院君は極貧生活の中で、息子の玉座を強く欲した!

興宣大院君は、貧しい王族で、世間では物乞いのような行動をするなど、恥もプライドも捨てて、周囲を欺き、時には、劉邦に仕えた韓信のように、馬鹿にされながら喜んで商人の股下をくぐるなど、どんな侮辱にも耐えながら、息子を王位に就けました。

息子を王位に就けるためには、子孫に王が出ると言われる明道(※ただし、玉座は子孫2代まで。)があると言われと、その場所を手に入れるために、寺に火を付け、空き地にして父親の墓を移設して建てたという説も残っています。

そこまで、貧困と侮辱に堪えながら得た息子の玉座ですが、息子のためというよりも、実は、自分が摂政という形で権力を握りたかった欲望が強かったと思われます。

※興宣大院君がそこまで摂政という形で権力を欲した理由は、こちらの記事で分かりやすく解説しています!(⇒安東金氏一族の世の中になって、苦しむ民の様子

安東金氏一族の勢道政治が始まった経緯を分かりやすく解説!
安東金氏一族の勢道政治が始まった経緯を分かりやすく解説!遡ると、荘献世子の米櫃事件により『時派』と『僻派』に分かれて党争し、お互いに相手を粛正する繰り返しから、安東金氏一族が反対派がいない政権を樹立。まだ政治の行なえない幼少の王の垂簾聴政で独裁政治を繰り返す中で、国が荒れ放題、反乱などが増していった様子が分かります。

大王大妃趙氏を騙し、手に入れた権力!

興宣大院君は、高宗即位後の3年間は、大王大妃趙氏に垂簾聴政を任せますが、

「そろそろ、高宗に親政を!」

「高宗の嫁は、大王大妃趙氏に一任します」

と、垂簾聴政を終わらせるように仕向けます。

そこで、高宗の嫁は趙氏一族から出そうと納得した大王大妃趙氏は、垂簾聴政を終わらせると、

興宣君の性格が一変し、政治への関わりに強く執着し、高宗が成人した後も、権力を握り、政治に関わろうとします。

結局、「高宗の嫁」についても、興宣大院君が妻の一族から驪興閔氏明成皇后に決め、高宗の摂政を自ら始める!という裏切り行為をし、大王大妃趙氏と趙氏一族は、完全に騙されて、権力を興宣大院君に完全奪われる形になります。

そんな父親・興宣大院君から、高宗にとって大事なのは「孝(父子)」か「忠(王と臣下)」かを問われ、まだ未成年のころは「孝」を大事にしていた高宗でしたが、

王妃である明成皇后に元気な王子が生まれていないことから、李尚宮を側室に格上げし、李尚宮の子である完和君を世子に立てようとする興宣大院君の言動により、父子の間がぎくしゃくし始めます。

成人している自分に世子を決める権限も持てないことに疑念と怒りを持ち始めた高宗により、父子の不仲は始まります。

そのうえ、明成皇后が、興宣大院君の入宮を拒否する措置をしたことで、興宣大院君は隠居状態になってしまい、親不孝な王として高宗を苦しめるようになります。

ドラマ内では、「親が臣下となって子に頭を下げろというのか!」と、強く高宗を責め立てる場面もあり、興宣大院君と母の驪興府大夫人閔氏は、王である息子(高宗)に、最後まで「孝」を求めます。

大王大妃趙氏の養子として王になっているため、王ではない父親を持つ捻じれた関係と、自分が政治をしたくて息子を王に就けた興宣大院君の強い執念が、親子関係を引き裂いていく過程は、

よくある泥沼化したドラマのようでもあり、実話でもあるため、思いもよらぬ展開が待ち受けており、とても見応えがあります。

興宣大院君の政治力

興宣大院君が政治に強い執念を抱いた理由は、王の権力を取り返そうと考えたからでした。

幼い王の王権を弱め、国王の外戚が朝廷を動かし、王族が乞食のような生活になる世の中を変えたい!という執念で、高宗を王に付けたのです。

ところが、世子を立てる問題や、後に、閔氏一族の勢道政治が始まることで、明成皇后閔氏との仲が悪くなりばかりで、その板挟みとなる高宗は大変だったようです。

さらに、興宣大院君は、王権(身分制度)を守るため、「人間皆平等」を唱えるカトリックの弾圧を繰り返し、迫り来る西洋の列強諸国に対する対外策は「鎖国・攘夷」派だったのに対し、

開国派の考えを持つ明成皇后閔氏とは、国の政策方針についても意見が合わず、衝突、高宗との親子関係もどんどん悪くなる原因ともなりました。

文禄の役で焼失した景福宮の再建工事についても、興宣大院君にとって国家的権威の再建と考えた大仕事で、そのために、かなり尽力したようですが、

完成間近に、火災で焼失しましたが、諦めずに、再々建に注力しました。

興宣大院君が、景福宮の再建工事を強く望んだ気持ちを、紫禁城と比較しながら語る場面は、それを聞いた大臣のほか、視聴者も納得するほどの内容だったと言えるでしょう。

興宣大院君の【対外政策について】

カトリックの弾圧の政策により、1866年にフランス人神父らを殺害(丙寅邪獄)すると、その報復としてフランス艦隊が軍艦7隻で江華島を占領(丙寅洋擾)する事件が起こります。

同時期に通商を求めてきた商船ジェネラル・シャーマン号も、興宣大院君の指示で焼き討ちして沈めました(ジェネラル・シャーマン号事件)。

このような危機を、興宣大院君の鎖国・国を守る強硬策により、勝利したからこそ、高宗は、興宣大院君に頼らざる得なかったとも言えます。

1873年、高宗が成人に達すると親政を宣言し、崔益鉉(チェ・イッキョン、儒学者・政治家)の弾劾を機に興宣大院君は追放されます。

代わりに政権を握ったのは高宗では無く、明成皇后と閔妃の一族である閔氏になります。

高宗は性格的に気が強く、政治に詳しく、聡明であると尊敬していた閔妃に頼ることが多く、政権を握った閔妃は閔氏一族を要職につけ、以後、閔氏一族による勢道政治が始まります。

ここまで政権関与にこだわった明成皇后には、世継ぎをなかなか産むことが出来なかった焦りもあったのかもしれません。

《驚愕》本当にあった未解決事件!興宣大院君が黒幕と噂された事件

興宣大院君の隠居生活は、幸せな老後というよりも、都から楊州へ追放、住む場所を指定し、宮中入りを禁止され、高宗に会うこともできず、幽閉とも言われるような10年間を過ごします。

一説には、その期間中、明成皇后の義理の兄である閔升鎬(ミン・スンホ)邸に爆弾を届け、閔升鎬父子と、滞在中でった明成皇后の実母感古堂李氏を爆弾テロにより死なせたのは、

大院君一派の申哲均が抱える下僕であると証言したことから、興宣大院君も関わっているのではないか?という疑いのある事件が起きます。

しかし、興宣大院君を捕まえる親不孝はできないと、黒幕を捕まえることなく事件を終わらせています。

その後も、明成皇后の住む殿閣が爆弾で吹き飛ばされ、明成皇后殺害未遂という事件も起こりますが、これも同様に、興宣大院君が黒幕として名が挙がることを心配し、犯人はうやむやとなります。

史実では、恨みが収まらない閔妃は、翌年11月大院君の兄興寅君の家を襲撃させる事件を起こしたり、興宣大院君の暗殺のため、大院君の居所である雲峴宮および完興君・永宣君の居所にも爆弾が仕掛けられていた事実が残されていますが、こちらも、殺害を画策したという批判が浴びせられただけで、犯人は、不明となっています。

(一方、ドラマでは、明成皇后の知らないところで、閔妃の義兄が、興宣大院君の家に爆弾を仕掛けて仕返しをする場面として描かれています。)

興宣大院君は民にとって、偉大な存在だった!

さらに、鎖国派の興宣大院君を慕う民も多く、民心を得た興宣大院君は、旧兵士の待遇に不満を持つ輩を煽り宮殿を襲わせ、勢力を伸ばしていた明成皇后の親族や、興宣大院君の実兄など、

一掃して殺される暴動壬午軍乱が起きます。

興宣大院君は、事態収拾を理由に入宮を果たし、10年ぶり、ようやく父子再会となります。

この10年間、隠居生活があったにも関わらず、この時、30代にもなる成人した高宗が、興宣大院君に対して、王の持つ権力・権限をすべて差し出していることからも、興宣大院君の存在の大きさが伺えます。

しかし、その後、まもなく、避難中の明成皇后を宮殿に帰すために、清国に協力を求めたことにより、興宣大院君は、3年間清国に拉致されますが、帰国すると、再び民が大喜びで出迎えます。

この民心を掴むのが上手な政治力があったおかげで、高宗が40歳頃になっても、再々度、国王の権限をすべて預かって執権します。

興宣大院君が王の権力に固執した理由とは?

ドラマ「明成皇后」の中のセリフで、「王族が物乞いのような生活になるほど貧しく、王宮の国庫も底を突いているにも関わらず、安東キム氏やその取り巻き達の倉は、食料や財宝でいっぱい溢れかえっている!」

という表現があります。そして、物乞いを演じる王族の興宣君に対し、安東キム氏の年長者金左根(キム・ジャグン)が下人に「持ち金をすべて渡してあげなさい!」と命じると、わずかなお金を地に捨てるように渡します。

それを急いで拾い集めるような行動をしながら、恨みを募らせていく場面があります。

王族が、両班からこのような屈辱的な扱いをすることが許せず、60年間続いた安東キム氏の勢道政治を終わらせ、王権を取り戻す執念を募らせていったと思われます。

高宗の即位当初は、高宗が成人しておらず、自ら摂政として、王権と王の威厳を取り戻し、安東金氏一族の勢道政治を終わらせるために、様々な政策を行ないました。

王の威厳を示すための景福宮を建てる!と決めると、多額な建築費用は、勢道政治で貯めこんだ安東キム氏と、その勢力から、倉庫を空にするほどの財産の寄付をさせ、朝廷の人事からも追い出し、急いで世子を立てようとしました。

世子を立てることで、王権の跡継ぎを安定させたかった興宣大院君ですが、王妃に王子がいなかったため、手紙の配達係だったという卑しい身分にもこだわらず、李尚宮の王子を世子にしようとしたことから、高宗や明成皇后との溝が深まっていきます。

隠居生活に追いやられた後は、隠居させられた恨みのほか、日本や海外諸国と手を結び、開国政策を進めていこうとする政策に危惧し、鎖国政策を民に掲げて、信望を集めていったように、ドラマでは描かれました。

閔氏政権を打倒する壬午軍乱(壬午事変)とは?

壬午軍乱(じんごぐんらん)とは、1882年、興宣大院君らの煽動を受けて、朝鮮の首府漢城(現在のソウル)で起こった閔氏政権および日本に対する大規模な朝鮮人兵士の反乱のことを言います。

朝鮮国王高宗の王妃閔妃を中心とする閔氏政権は、開国後、日本の支援のもと開化政策を進めましたが、財政出費がかさみ、旧軍兵士への俸給が滞ったことが反乱のきっかけとなりました。

閔氏政権は、最新式の小銃を持つ近代的軍隊として「別技軍」を新設し、隊員も両班の子弟が中心で、日本人教官を招致して教練を開始します。

その費用は、十分過ぎるほど優遇されますが、廃止を視野に入れている旧式軍隊には、俸給が一年ほど未払いがあったり、その未払い賃金の遅延1年後、もみ殻や砂、腐敗米が半分以上占める俸給米1カ月分だけを支給するなどの対応に反発をつのらせた旧式軍隊が暴動を起こします。

支給に当たった宣恵庁(宣恵庁堂上に閔謙鎬)の庫直(倉庫係)が嵩増しした残りを着服しようとしたことで、これに激怒した旧軍兵士は倉庫係を襲って、暴行を加え、倉庫に監禁し、庁舎に投石をしました。

ところが、この知らせを受けた担当官僚(宣恵庁堂上)であった閔謙鎬は首謀の兵士たちを捕縛して投獄し、いずれ死刑に処することを決定します。

これに憤慨した各駐屯地の軍兵たちが救命運動に立ち上がりますが、運動はしだいに過激化し、政権に不満をいだく貧民や浮浪者をも巻き込んでの大暴動へと発展。

民衆も加わって閔氏一族の屋敷や官庁、日本公使館を襲撃し、朝鮮政府高官、日本人軍事顧問、日本公使館員らを殺害。

軍乱のきっかけをつくった閔謙鎬、前宣恵庁堂上の金輔鉉、閔台鎬(世子嬪の父)、閔昌植ら閔氏系の高級官僚数名を惨殺。

王宮にも乱入したため、明成皇后は昌徳宮から脱出し、閔応植に匿われたおかげで、難を逃れることができます。

こうして、反乱軍は閔氏政権を倒し、興宣大院君を担ぎ出して大院君政権が再び復活されました。

ドラマでは、この暴動を煽り、最終的に指揮した黒幕として、興宣大院君を描いています。

実際に、興宣大院君が関わっている暴動のようですが、掌握するためにどのように関わったのかは不明な部分があります。

明成皇后は、壬午軍乱の時、実際には、どうやって逃げ出した?

明成皇后は、この壬午軍乱の時、実際には、どうやって逃げ出したのでしょうか?

この時代を描いた韓国ドラマでは、様々登場人物が脱出を手伝ったように描かれており、

実際の脱出方法はよく分からなかったので、調べてみました。

すると、次のような記述が書かれていました。

一人の侍女が閔妃のいる部屋で毒薬を飲んで自殺し、みずからは隠密裏に自室を脱出したのである。下僕の一人が彼女を背にして怒り狂う暴徒の群れのなかをかき分け、途中、会う人ごとに詰問されたが、下僕は必ず「自分はとるに足らない下っ端であるが、この騒動から自分の妹を連れ出すところだ」と応答してこの災難をくぐりぬけた。閔妃はこうして漢城市内の私邸に到着、そこから駕籠で忠州(忠清北道)付近の僻村へと逃亡、同地に隠れ住んだ。なお、このとき閔妃を運んだ駕籠かきの一人が、水運びを生業とする貧しい庶民の出身で、のちに政治家として活躍する李容翊である。

引用:「Wikipedia」より

この韓国ドラマ「明成皇后」でも、宮殿の外までは、興宣大院君の乗ってきた籠で脱出し、

その後、護衛武官洪啓薫におんぶしてもらい、静かなところまで、運んでもらうように描かれています。

まさに、引用部分の後半と、ドラマの場面が、上記の脱出方法と大変酷似した内容で描かれています。

史実なのか?フィクションか?

史実なのか?フィクションか?
不明なところは、韓国サイトの「Wikipedia」や「naver」などで、詳しく調べてみました。

生存している明成皇后のお葬式を行なう興宣大院君《史実》

壬午軍乱(壬午事変)後、高宗から、王の持つ権限をすべて委ねられた興宣大院君は、明成皇后が脱出して生存していることを知りながら、お葬式を執り行います。

お葬式が済むと、すでに死人扱いとなるため、後から見つけ出して殺しても殺人にならず、宮中に入れなくなる!という考えのもと、

ドラマ内では、遺体が無くても、すぐにでもお葬式を終らせる!と、自らの手で棺桶を閉じたりします。

実際に、この時、明成皇后の衣類を棺に入れて、お葬式を行なったのも、記録が残っているようなので、事実として、ドラマで描かれています。

興宣大院君を清国に拉致!《史実!》

しかし、避難している明成皇后が生きていることを知った高宗は、明成皇后を宮中に迎え入れるために、大王大妃趙氏に相談します。

大王大妃趙氏は、興宣大院君への復讐も兼ねて、清国に協力を求めたことから、清国の兵が3,000人駐屯し、興宣大院君を清国に拉致してもらいます。

王の権力を委ねられて僅かな期間のうちに、興宣大院君は、失脚し清国で、1人寂しく、厳しい寒さのボロ小屋で、食事も合わない生活を強いられます。

しかし、その生活も3年後には、終わりを告げ、

高宗と明成皇后が日本と手を結んで「清国の兵士を追い出して独立しよう」としてたくらんだ事件をきっかけに、

興宣大院君が鎖国政策と親清政策をできるように、清国北洋大臣の李鴻章は興宣大院君を朝鮮に返します。

清国での実際の生活は、「投獄」という言葉もあれば、「幽閉」「幽閉中の大院君は絵を描いて過ごし、特に蘭の花の絵は清でも評判になった。」とも書かれています。

 

ドラマとは異なる生活があったようですが、興宣大院君は、長男完興君に何度も手紙を送り、完興君が父のいる清国の住まいを訪問した史実は、ドラマ「明成皇后」の中で描かれています。

興宣大院君が贈った朝鮮人参で明成皇后は流産したのは本当?

贈った意図は不明ながら、韓国ドラマ「明成皇后」では、明成皇后が懐妊したと聞いて、興宣大院君は高価な「朝鮮人参」を贈ります。(※実際の記録には「薬剤」とあります。

しかし、残念ながら死産という結果になったところ、「懐妊中の朝鮮人参は良くないのに飲んだから・・」と囁かれるようになります。

第26代朝鮮王高宗が、宮殿の最高位である侍医に問いただしたところ、ハッキリと「問題無い」という言葉が出ず、余計に周囲は怪しむことに。

当時、万が一、「問題あり」と言えば、興宣大院君の罪を問わないといけないため真実が言えなかったのか、疑念を抱えたまま、2度目の懐妊時にも、興宣大院君は再び「朝鮮人参」を贈ります。

興宣大院君は「朝鮮人参」を再び食べて、元気な子を産めば、自分の悪い噂が消えるから、必ず食べるように怒鳴ります。

そんな願いも虚しく、その出産後、数カ月で早死しています。

しかし、その後、3回の出産をし、朝鮮人参は食べていないにもかかわらず、4回目の出産で生まれた純宗を除き、似たような結果となったことから、朝鮮人参以外が原因であったと思われます。

実際の記録では「薬剤」とあり、贈ったものが朝鮮人参かどうかは不明です。

漢方薬なのかもしれません。

この場面も、史実から、描かれたようです!

肛門の無い赤ちゃんを出産!《史実》

明成皇后の3回目の出産時に、「肛門が無い赤ちゃん」が生まれます。

ドラマの脚本にしては、ずいぶん珍しい設定だと思いきや、実際に、そのような先天的奇形の状態で生まれたと、記録されています。

その原因として考えられることとして、

①食事に妊婦に良くないものを混入されていた。
②もともと出産ができない体質だった。
③血縁が濃すぎた。

など推測できます。

③については、王族には、親族などと婚姻関係を結ぶことが多く、時々奇形児が生まれることがあった別な時代のドラマでも表現されてもいます。

高宗の実母は、閔一族であり、実弟が明成皇后の実家に養子になるなど、近い間柄の親戚と言えます。

ひょっとすると、そのような血の濃さから、二人の間では、元気な赤ちゃんに恵まれ難い原因があったのかもしれません。

あるいは、明成皇后の発育盛りは、貧しくちゃんと食べられなかったことで、子宮に問題が生じたのかもしれませんね。

興宣大院君と明成皇后は、和解したのか?《フィクション》

興宣大院君と明成皇后は、ドラマの終盤で、涙を流しながら手を取り、和解する場面が描かれています。

実際には、朝鮮王朝実録の記録の中に、「和解した記述は無かった」とあります。

また、興宣大院君のお葬式に、高宗は参列しなかったという記述もあることから、最後まで、仲直りはできなかったのでしょう。

ドラマでは、様々な形の家族愛・夫婦愛・親子愛を描いてきただけに、韓国ドラマ「明成皇后」を美しく演出しながら最終回を迎えるための演出と思われます。

明成皇后の暗殺事件(乙未事変)

日本が明成皇后を暗殺したくなった理由とは?

朝鮮王国の領土をめぐって、日清戦争が起こりますが、結果的に、日本側が勝利し、日清講和条約(下関条約)の内容に、

清から日本への領土割譲遼東半島・台湾・澎湖列島)

が含まれていたことで、ロシアは、日本への遼東半島割譲に反発し、フランス・ドイツと共に、日本に対して清への遼東半島還付を要求した(三国干渉)に発展します。

実は、ドラマ内でも、同じ頃、親露派の明成皇后は、ロシアの外交官に政治的な相談を持ち掛けたりしており、

王宮で、高宗に日本の政治家が謁見すれば、高宗の背後にある屏風の後ろから、明成皇后の声がし、高宗に意見するなどの様子も見られたことから、

今後、「朝鮮経営」を目指す日本側には、明成皇后が諸外国との外交を取り仕切りながら、高宗の政治判断もするため、

明成皇后が、非常に邪魔な存在であると考えるようになったようです。

日本サイドは、実際に、下関条約締結後⇒三国干渉⇒三国の要求を即時受け入れる⇒新任の公使である三浦梧楼が朝鮮に来る⇒「キツネ狩り」と称して、暗殺事件の準備を進める。

という流れになっているので、

三国干渉の背景に、明成皇后がいる疑いを濃く持ち、今後の計画の邪魔な存在だと考えたのでしょうね~!

その様子は、韓国ドラマ「明成皇后」で、詳しく描かれてます。

明成皇后の殺害(乙未事変)を主導した三浦梧楼は実在人物!《史実》

ドラマに描かれたのと同じ歴史に残る暗殺事件に関連した内容は、

1895年10月7日の早朝、三浦梧楼が教唆した国友を含む同志者たちは凶器を携えて王宮内に突入し、すぐに後宮へ向かい、明成皇后を、後庭で殺害し、遺体はその場で焼却した。

とあります。

しかし、ドラマ内では、主人公である明成皇后に威厳を残すような演出で、女官や尚宮たちに守られながら、殿閣の室内で殺され、後庭で骨が残らないほどしっかり遺体を焼却する指示があります。

それは、1882年の壬午軍乱(じんごぐんらん)のときのように、殺害されたのではなく、宮中を逃げ出したかのように装うためでした。三浦梧楼は、伊藤博文の指示で井上馨と交代で朝鮮王国に入っています。

暗殺後の実際の記録では、乙未事変後は、関わったとされる三浦以下48名は、日本に召還され、広島で投獄されます。

1895年12月12日に広島地方裁判所で予審が開始され、翌1896年の1月20日、軍法会議の結果、広島地裁は、被告人らの一部が閔妃殺害を決意して後宮に侵入した事実を認定したものの、被告人の中に殺害を実行した者がいると認めるための証拠が十分でないとして、三浦以下48人の被告人全員を免訴とし、そのうち三浦を含む12人を放免しています。

それから12年後、三浦梧楼は、宮中顧問官をはじめ、要職を歴任しています。

他国の王妃を暗殺したわりには、罪を問われていないのは、記録にはありませんが、総理大臣の伊藤博文の指示があったからなのでしょうか?

と思われても仕方が無いような判決ですね。

こちらは、韓国ドラマ「明成皇后」とは別の映画の一部で、生々しい「明成皇后の暗殺」の場面があります。

 

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