中宗反正(チュンジョンバンジョン)

中宗反正(チュンジョンバンジョン)

1506年9月2日、勲旧派の朴元宗(パク・ウォンジョン)、成希顔(ソン・ヒアン)、柳順汀(ユ・スンジョン)らがクーデターによって燕山君を廃位・追放し、18歳の晋城大君を擁立したクーデターのこと。

中宗反正が起きた経緯は?

燕山君の暴政は、全国各地で不満の声があがってくるほどでした。

中には、燕山君を幼少の頃から支えてきた内官が命がけで諫言したため、燕山君が直接切り殺したというエピソードは、ドラマの中でも、よく取り上げられています。

燕山君に不都合なことを言えば、殺されるか、流刑にされるか、左遷されるか、ばかり。

宴会三昧で、国庫や王室の財産も、底を突くほど散財されていきました。

そのうえ、廃妃尹氏の賜薬を飲まされた経緯が耳に入り、そのころから、復讐心を露わにし、

ますます暴君へと突っ走っていきます。

廃妃尹氏の賜薬に立ち会った人も含め、3度に渡り、粛正も行なわれました。

そのため、燕山君を追放したいムードが広がっていきました。

燕山君の暴政(中宗実録より)
・自分の間違いを指摘する臣下は殺すか流刑にする。
・言論の主軸となっていた司諫院を無くした。
・政治論争を禁ずるために経筵を廃止。
・成均館を廃止して自分の遊興場とし、朝鮮仏教の産室でもある円覚寺には掌楽院を改称した蓮房院を設けて集会場として用いた。
・全国に採青採紅使を派遣して各地に美人楽妓を選抜して置き、その中から宮殿に招かれる妓女を「興青」と名付けては、次々と呼び入れて宴会を開いた。
・狩りを楽しむために、都城を起点にして三十里内にある民家を撤去させた。
・全国各地からハングルの投書が上がってくるので、ハングル使用禁止令を下した。

宮廷クーデターの首謀者たちとは?

成希顔(ソン・ヒアン)

先王の成宗の寵愛を受けていた人物で、学識が深く、緻密で大胆な性格の持ち主でした。

官職は刑曹参判まで上り詰めました。

ある日、燕山君が望遠亭で宴会を楽しんでいる時、彼の放蕩な国政運営を批判する詩を献じたため、従九品の職に左遷されます。

成希顔は、クーデターを計画する知略はあるものの、兵力を動員する力はなかったため、軍事力のある人材を、仲間に引き入れる必要がありました。

そこで、選んだのが、朴元宗だということです。

朴元宗は、もともと武臣出身だったこともあり、兵力を動員できる人脈を持っていました。
朴元宗(パク・ウォンジョン)

朴元宗は、かつては、燕山君の信任を受けて同副承旨、左副承旨を経て、主に国の財政問題を担当。

燕山君の贅沢行脚に諫言する立場にもあったため、その過程で燕山君の怒りを買い、平安道兵馬節度使に左遷。

その後、同知中枢府使、漢城府知を歴任し、1506年には、京畿道観察使にまで昇格しました。ところが、再び燕山君に嫌われ、今度は官職を剥奪されました。

そのうえ、燕山君が、自分の伯母に当たる月山大君の継妻の朴氏夫人(朴元宗の姉)を強姦し、朴氏夫人は自決するという不幸も重なりました。

その他

そのほか、人望の高かった吏曹判書・柳順汀(ユ・スンジョン)、燕山君の信任を受けている申允武と武臣出身の朴永文なども引き込みました。

慎守勤(シン・スグン)

慎守勤は、世宗の四男・臨瀛大君の娘が母で、正妻が癸酉靖難の功臣である権擥(クォン・ラム)の一族という家系から、慎守勤の妹が燕山君の正妃となったことで出世をし、高い地位を長く務めました。

朴元宗は、クーデター前に、王族の二重姻戚である慎守勤にもクーデターへの参加を勧めたということです。

慎守勤に声を掛けた理由は、複雑な立場にあったからです。慎守勤の実妹が燕山君の正妃。その一方で、娘は、晋城大君の正妻という、両者に家族がいたからです。

そのため、朴元宗は慎守勤をクーデターに引き入れるためというよりは、彼の意向を探るためクーデター前に話したと思われています。

もし、慎守勤が挙兵に賛成となれば、無血入城できる可能性もあり、最後の直談判でもありました。

慎守勤の返事は、「義理の息子のために、妹を裏切ることはできない」「たとえ、王の気性が乱暴だとしても、世子が聡明だから、将来の心配には及ばない」と答えたそうです。

(クーデターの計画を事前に知ってしまった慎守勤は、その場で殺されたのではないかという説もあります。)

クーデターの様子

1506年9月、燕山君が京畿道長満の石壁へ遊覧に出掛ける日と決めました。

ところが、燕山君の石壁遊覧が突然の中止となり、計画を一時保留することにしました。

湖南地方で配流生活を強いられていた柳濱、李顆などから挙兵を知らせる檄文が飛ばされ、朴元宗、成希顔などは先手を打たれまいと、急いで兵を集めて、クーデターを決行しました。

反乱軍は、まず、晋城大君に挙兵の事実を知らせ、燕山君の側近である慎守勤、慎守英兄弟と任士洪を排除に成功。

反乱軍は事前に宮城内に進入して、内応するように打ち合わせていた申允武などの助けを借りて、簡単に宮城を掌握できました。

クーデターに成功すると、成希顔らは、成宗の継妃で晋城大君の母后でもある慈順大妃(チャスン ワンデビ、貞顕王后、中宗の実母)のところへ行って、燕山君を廃位して、晋城大君に王位を継がせるように教旨を下すように求めました。

慈順大妃(貞顕王后)は、初めは彼らの要求を拒んでいたものの、ついに燕山君を降ろして、江華島の喬洞に流刑にしました。そして、翌日、晋城大君が勤政殿(景福宮の中にある政殿で、王の即位式や大礼などを挙行した)で即位し、クーデターは成功で終わります。

王位剥奪により燕山君となり、流刑後2か月で死去。

正妃慎氏(端敬王后の叔母)も同時に廃位され、残された王子たちは全て処刑され、更に残された王女たちは全て奴婢にされました。

中宗の正妻の端敬王后慎氏は、一旦、王妃となりますが、朴元宗らの反対で、王妃になった7日後、廃位され、命だけは助けてもらいました。

クーデターにより即位したばかりの中宗は、まだ、功臣たちを抑えられるほどの権力は持っておらず、端敬王后慎氏を最愛の妻でありながら、最後まで守りきることが出来なかったということです。

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参考:「Wikipedia」「中宗実録」より

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