純祖・第23代王

安東金氏

安東金氏一族の勢道政治が始まった経緯を分かりやすく解説!

安東金氏一族の勢道政治が始まった経緯を分かりやすく解説!遡ると、荘献世子の米櫃事件により『時派』と『僻派』に分かれて党争し、お互いに相手を粛正する繰り返しから、安東金氏一族が反対派がいない政権を樹立。まだ政治の行なえない幼少の王の垂簾聴政で独裁政治を繰り返す中で、国が荒れ放題、反乱などが増していった様子が分かります。
安東金氏

朝鮮王朝後期の王族系図(荘献世子から純宗まで)~安東金氏の勢道政治

朝鮮王朝後期の荘献世子から純宗までの王族系譜を図にまとめてみました。すると、第23代王純祖の純元王后から、安東金氏の勢道政治が始り、それをを牽制するために神貞王后趙氏を正室に迎え、豊壌趙氏派を重用した孝明世子ほか、多くの王子・王女が不自然なほど、若くして夭逝しています。純元王后が垂簾聴政を行なうことで、安東金氏が一層勢力を伸ばしていった構図がよく分かります。
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