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韓国ドラマで観る燕山君の生涯とは?-暴君と呼ばれる理由

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燕山君・第10代王(廃位)

李氏朝鮮の三大暴君の一人に名の上がる第10代国王燕山君(ヨンサングン)。

燕山君は、なぜ? 王位を剥奪されるほどの愚行を行なったのか?

たくさんの韓国ドラマに描かれた燕山君の中で、最も史実に近いと思われる説をご紹介します。

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燕山君の生母・廃妃尹氏とは?

燕山君の生母である斉献王后(チェホンワンフ)の家系は、第4代国王世宗時代の集賢殿に登用され、その後、第7代国王世祖が宮廷クーデター事件を起こした時、二等功臣となり、後に領議政にまで上り詰めた申叔舟(シン・スクチュ)の従妹(廃妃尹氏の母:申氏)の娘になります。

しかし、斉献王后(廃妃尹氏)の実家は、父親が早世して以来、両斑とは言え貧しい生活を送っていました。

成宗の一人目の正妃である恭恵王后韓氏(上党府院君韓明澮:ハン・ミョンフェの娘)が病弱で子ができそうにないことから、尹氏は側室として宮殿に入宮しました。

この時は、正妃の父が功臣の韓 明澮(ハン・ミョンフェ)で、外戚が権力を握っていたこともあり、尹氏の”貧しい両斑”という生い立ちは、後ろ盾がなく、外戚が力を持つ心配はないという考えもあり、選ばれました。

しかし、正妃の死により、新たな正妃を探すよりも、今いる側室の中から選ぶこととなり、尹氏が第9代国王成宗の2人目の王妃となります。

この側室から王妃になる段階では、姑にあたる昭恵王后韓氏(仁粋大妃)は強く反対しましたが、仁粋大妃と嫁姑の仲の悪い関係が続く貞熹王后尹氏(成宗の祖母、第7代国王世祖の正室)は、斉献王后尹氏を王妃に推しました。

斉献王后尹氏は、美しい容姿で、成宗の深い寵愛を受け、王妃に昇格した4ヶ月後には、元子(燕山君)を出産し、一層王妃の地位を確かなものにしていきました。

その後、王妃として推薦してくれた貞熹王后尹氏(第7代国王世祖の正室)が亡くなり、仁粋大妃の権力が強まると、

斉献王后尹氏は、王妃の地位を守りたい一心と、成宗の寵愛を自分だけのものとしたいという嫉妬心から、数々の失態と愚行を繰り返し、やがて成宗の足が遠のくようになりました。

そんな中、他の側室が妊娠したと聞けば、その側室が流産するような毒を飲ませたり、実母が呪いのお札を届けたのが見つかったりもしたため、王妃から嬪(側室の最上位)に降格もされました。

そんなある日、成宗が尹氏の部屋を訪れましたが、痴話喧嘩が始まり、尹氏の指先が成宗の頬にあたり、顔にわずかな傷を付けてしまいます。

これを怒った仁粋大妃は、王の身体に傷を付けた処罰として、尹氏を廃位し、宮殿から追放するように成宗を責めました。

成宗は、最初のうちは、庇おうとしていましたが、仁粋大妃の気性には勝てず、尹氏を廃位し、宮殿から追放するように王命を下しました。

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燕山君の生母・廃妃尹氏に賜薬(毒)を下す

もともと廃妃尹氏が王妃になる時に反対していた仁粋大妃は、尹氏が斉献王妃になった後、嫁姑の確執が続いており、宮殿から追放するだけではなく、賜薬(毒)を下すように強く主張しました。

それは、万が一、成宗の死後、燕山君が王になれば、生母を復位させるのでは?

という心配を考えたからです。

しかし、ハン・ミョンフェは、廃妃尹氏に賜薬(毒)を下すのであれば、燕山君が王にならないように「燕山君も同時に廃位すべきだ!」と主張しました。

ハン・ミョンフェは、廃妃尹氏に賜薬(毒)を下した関係者に、燕山君が復讐を考え、皆殺しにされることを恐れ、警戒したからです。

しかし、仁粋大妃は、

”燕山君は、成宗の実子であり、自分とも血縁の孫でもある!”

という思いから、「燕山君は、何も悪いことをしておらず、まだ幼少期なので、3番目の王妃である貞顕王后(中宗の実母)を嫡母とし、しっかり教育をすれば、大丈夫だ!」と考えたのです。

しかし、「夫の顔に傷をつけたくらいで、賜毒まではやり過ぎ!」との声もあったため、ほかに、賜毒に値するような素行はないか?

仁粋大妃は、廃妃尹氏の様子を確認しに行かせました。

一説によると、処刑の直前、廃妃尹氏の死を望む者に陥れられ、「反省どころか、きれいに着飾り、素行が良くない」との報告が挙げらた可能性もあるそうです。

そのため、仁粋大妃は嫌がる成宗を説得し、廃妃尹氏への賜毒を王命により実行させ、燕山君を、3番目の王妃になる貞顕王后を嫡母としました。

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燕山君の幼少期から即位まで

まだ6歳の幼少とはいえ、ある日突然、貞顕王后を母と慕えと言われても懐くことはありませんでした。

貞顕王后には、成宗の次男になる晋城大君(チンソンデグン、後の第11代国王中宗)がおり、仁粋大妃をはじめ、周囲の誰もが晋城大君を可愛がる中、

燕山君は、生母尹氏の死の翌年、7歳で王世子に冊封され、世子として厳しく教育されるとともに、周囲から廃妃尹氏の息子だと冷ややかな視線を浴びせらる中、育っていきました。

時には、病気の療養との名目で、臣下の家などにも預けられました。

そして、1494年、燕山君が18歳の時、父:成宗が38歳で薨去しました。

世子である燕山君が、本来なら、すぐにでも王位に就くはずのところ、仁粋大妃は、数日、燕山君の即位を躊躇しました。

燕山君は、聖君になれるのか? ハン・ミョンフェの言う通り、復讐をしないか?

しかし、最後の決め手となったのは、成宗の死の間際の言葉でした。

「燕山君は、不憫な子だ。幼少期に母親を奪ってしまい、苦労して育ってきた。私が死んだあとは、燕山君を王位に就け、聖君になれるように力を貸してあげて欲しい。」

息子の遺言を守り、仁粋大妃は、燕山君に、

「必ず聖君になると、私と約束しなさい! そうすれば、玉座に就けてあげましょう。」

と、二人で固く約束をし、王位を継ぐことを許可しました。(韓国ドラマ「王と妃」より)

燕山君・即位後

まだ18歳ということもあり、大事な決議は、実質、仁粋大妃が行ないました。

仁粋大妃は、成宗の時代にも、成人した後も、すべての権力を渡すことは無く、朝廷の決議に気に入らないことがあれば、すぐに重臣を呼びつけては、成宗の意向を無視した取り決めも行なってきた経緯がありました。

燕山君についても、同様に聖君となって良い政治をしなさいという割には、権力の一部は、自分に残していました。

幼すぎて、廃妃尹氏の死の詳細を知らない燕山君は、最初のうちは、一生懸命頑張り、良い政治を目指していました。

ところが、玉座にいれば、世子の時と違い、権力や出世を欲する、私利私欲の多い人達が、燕山君のご機嫌を取るようになり、馬鹿にされることも、愚行をしても怒られることも無くなり、

あの恐れていた仁粋大妃ですら、自分に簡単に手出しできない環境にいることに気付きます。

燕山君の政治に口を挟みたいなら、自分(仁粋大妃)が政治をやればいい!

結局、仁粋大妃が朝廷の決議を取り仕切り、

燕山君は、やがて酒と女に溺れた生活をするようになりはじめ、宮殿に妓生(キーセン)を呼び入れ、宴会三昧の日々を送るようになります。

その妓生の一人張緑水(チャン・ノクス)は、朝鮮時代の三大悪女の一人と言われ、燕山君の側室淑媛となり、愚行を先導しました。

ほかにも、そんな燕山君に取り入って出世をしようとした内官の金子猿(キム・ジャウォン)は、燕山君が喜ぶことなら、どんな悪事も平気でサポートし、官僚以上の権力を握り始めます。

そして、ある日、燕山君に、生母の廃妃尹氏は、些細なことから、死を望んだ者たちによって賜毒が行われ、今も、関係者が至る所にいることを教えます。

閲覧禁止の過去の記録帳を見せたり、廃妃尹氏の母親にも面会させました。

廃妃尹氏の母親は、毒を飲んだ時に吐血した衣類を見せながら、生母の無念を涙ながら訴えました。

激昂した燕山君は、廃妃尹氏の賜毒に関係したすべての人を無差別に処刑するように王命を出し、母親(廃妃尹氏)の地位を復位させ、お墓の陵を移すように命じました。

(※韓国ドラマ「チャングムの誓い」では、チャングムのお父さんが、廃妃尹氏の賜毒に同行した武官という設定で処刑され、後日、宮廷クーデター、女官たちの権力争いが重臣に利用され、王族への料理に毒を盛る裏舞台などが描かれています。)

燕山君の愚行を諫めた内官は、燕山君の手によって、殺されもしました。

両斑の官僚の妻たちが宮殿に呼ばれ強姦されたり、月山大君の正妻となる伯母も同様にして妊娠したらしいという噂も流れ、自殺に追い込んだという説もあるようです。

燕山君・クーデターにより廃位

さすがに、燕山君を野放しにできないという動きが水面下で始まります。

1506年9月2日に勲旧派勢力の朴元宗らが企てた宮廷クーデター(中宗反正)によって、燕山君は失脚します。

燕山君は、江華島に配流となり、王位も剥奪されて燕山君に封じられます。

同時に、この時、戚臣の任士洪(イム・サホン)、内官の最高権力者となっていた金子猿(キム・ジャウォン)、更に燕山君の寵姫である張緑水(チャン・ノクス)は、反対勢力の手によりそれぞれ斬首刑となっています。

また燕山君の正妃である慎氏も同時に廃位。側室側の王子も含めて、全ての王子は処刑され、王女に関しては、全て奴婢にされました。

燕山君は配流からおよそ2ヶ月後、数え年の31歳(満30歳)で死去しました。

この後、第11代国王に中宗が即位しますが、その当時の中宗の正妃である端敬王后慎氏(タンギョンワンフ シンシ)の叔母が、宮廷クーデターにより燕山君の正妃として処刑された慎氏であったため、

燕山君反正勢力の反対に遭い、中宗の反対にもかかわらず、中宗即位後わずか7日後に端敬王后慎氏は、王妃の身分を剥奪され、後宮追放となりました。

端敬王后慎氏については、「韓国ドラマ 七日の王妃」でドラマ化もされています。

この当時の家族・親戚・孫の代までも、連座制で処罰の体制がいかに厳しかったのが分かりますね。

【この時代を描いたおすすめ動画・参考にしたドラマ・記事一覧】
・韓国ドラマ「王と妃」
・韓国ドラマ「インス大妃」
・韓国ドラマ「王と私」
・韓国ドラマ「七日の王妃」
・韓国ドラマ「チャングムの誓い」
・韓国ドラマ「逆賊-民の英雄ホン・ギルドン」
・Wikipedia(燕山君)-https://ja.wikipedia.org/wiki/燕山君
・Wikipedia(成宗)-https://ja.wikipedia.org/wiki/成宗_(朝鮮王)
・Wikipedia(仁粋大妃)-https://ja.wikipedia.org/wiki/仁粋大妃
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・韓国ドラマ「インス大妃」
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