朝鮮王第20代 景宗の死は、英祖による毒殺とも、病死とも言われています。
いくら身体が弱かった景宗王とも言えども、病死というよりも食べたものが原因による急死の見方が強く、英祖を玉座に就けるための毒殺が有力視されていました。
それに加えて、時代背景やタイミング的にも、老論が英祖を玉座に就かせたい時期でもありました。
しかし、2024年秋、テレビで話題になった病気『柿胃石』の症状が、景宗の倒れた時の様子と酷似しています。
もし、推測通りならば、老論派もびっくり!病死ということになります。
当時の時代背景
第20代朝鮮王景宗が即位した1年後1721年から1722年かけて、辛壬士禍(シニムサファ)の党争が起きていました。
この党争により、老論派の重臣の多くが処刑や流刑などされており、英祖自身の命も狙われていました。
老論派にとっても、当時、まだ世弟だった英祖も、生き残るためには、王になるしかない雰囲気がありました。
しかし、景宗は、子も無く、病弱なため、たびたび英祖に代理聴政もさせています。
景宗の死
朝鮮王朝第20代王の景宗は、即位から4年後の1724年に亡くなりました。
彼の死因については、いくつかの説がありますが、一般的には食べ物が関係しているとされています。
景宗は、蟹の醤油漬けと柿を食べた後に体調を崩し、5日後に亡くなっています。
この出来事から、蟹と柿の組み合わせは、医学で相剋とされているので、それが悪かったのではないか?と、景宗の死因を考える見方が多くありました。
一方で、景宗の死については、政治的な陰謀が絡んでいるという説もあり、景宗が暗殺された可能性も指摘されています。
背景のように、暗殺の理由があることはもちろん、倒れる前に食べた「蟹の醤油漬け」は、英祖が差し入れたものだったため、「毒入り」と考えられてもおかしくない突然死だったのです。
推測:もしも病名が『柿胃石』だったとしたら?
『柿胃石』とは、柿を食べることで、胃の中に形成される石のような塊のことです。
柿にはタンニンや食物繊維が豊富に含まれており、これらが胃酸と結びつくことで固まりやすくなります。
特に、胃の運動機能が低下している人や、胃酸の分泌が少ない人は、柿胃石ができやすいとされていますので、病弱な景宗は、この体質にも、該当するのかもしれません。
胃の中で大きな塊(柿胃石)が形成され、腹痛や吐き気などの症状を引き起こし、その塊が小腸に詰まれば腸閉塞となり、死に至ることもあります。
現代では、手術や内視鏡、レントゲンなどで、『柿胃石』の確認や治療はできるので、死に至ることは少ないようです。
しかも、(昔はない)コーラを飲むことで、その塊が柔らかくなるということも分かっているようですが、
昔の医療技術では、病名の特定も手術も困難なので、食事後、急に腹痛を起こし、数日後に亡くなったという景宗の症状には似たところがありますね。
▶『柿胃石』の詳細は「フジテレビ」へ
もしも、『柿胃石』なら、人騒がせな病死であり、「兄を毒殺して王になった!」と生涯言われ続けた英祖も、可哀そうな人生だったと言えますね。