新羅の第24代王・真興王について

新羅の第24代王・真興王について 真興王(第24代王)

真興王(チヌン、しんこうおう、534年 – 576年)は、新羅の第24代の王(在位:540年 – 576年)であり、姓は金、諱は彡麦宗(サムメクチョン)または深麦夫。

父は先代の法興王の弟の立宗葛文王仇珍、母は法興王の娘の只召(チソ)夫人。

※ひ孫に、善徳女王(第27代国王、徳曼)、武烈王 (第29代国王、金春秋)、善花公主(第30代百済王 武王の王妃)がいる。

540年7月に先王が死去し、彡麦宗が7歳で王位について、王の母が代わりに政務を摂政していました。成年してからは、真興王自らが、積極的に領土拡張を進め、新羅の国力を飛躍的に拡張させていきました。

その拡張させた領域は広く、高句麗の城、百済の城を奪い取るほか、伽耶を滅ぼし、真興王の治績は、積極的な対外戦争と領土拡張となりました。

真興王が生まれる58年前、476年頃の朝鮮半島に占める高句麗・百済・新羅・伽耶の四国の割合は、次の地図のように伝えられています。

画像引用元:「Wikipedia」より

412年ごろまでは、高句麗第19代王の広開土太王(374年ー412年)が、高句麗周辺国を制圧していたため、高句麗の勢力が強かった時代と思われます。

かなり、高句麗が領土を広げていたのが分かりますね。

その頃は、新羅は、高句麗の「臣民」扱いされていた弱小国の時代です。

倭国に攻撃されると、高句麗に助けを求めにいくほどでした。

 

真興王の晩年、576年頃の朝鮮半島に占める高句麗・百済・新羅の三国の割合は、次の地図のようにまで広がっていました。

画像引用元:「Wikipedia」より

伽耶は滅ぼされ、このように領土を広げたのが、真興王の時代になります。

こうしてみると、韓国ドラマ「花郎(ファラン)」に登場する”彡麦宗”は、実は、スゴイ功績を残した王だったということが分かりますね。

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※参考サイト・・・「Wikipedia」より

花郎<ファラン>

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