正祖(イ・サン)の父思悼世子が米櫃事件で死んだ理由とは?

第21代王英祖(延礽君)

朝鮮王第22代正祖となったイ・サンの父思悼世子が米櫃で死んだことは、韓流ファンなら誰もが知る有名な事実でしょう。

しかし、思悼世子が、なぜ、米櫃で死ぬことになったのか?

その経緯は、日本では、あまり知られていないようです。

1998年制作韓国ドラマ「大王の道」(全34話、主演:イム・ホ)にそのヒントがありました。

このドラマは、22代朝鮮王の正祖(イ・サン)が、王に即位した時、思悼世子について記載された国が保管する文書を、すべて焼き払っているため、正式な記録は無いものの、周辺国や私文書などで残る思悼世子の記録をもとに制作された史劇になります。

そのドラマによると、父であり21代国王である英祖との確執をはじめ、驚く様な人間関係、事件があったみたいです。

21代国王英祖の生い立ちと心境

日本でも、人気の高い韓国ドラマ「トンイ」(監督:イ・ビョンフン)を視聴された方はご存知と思いますが、英祖(即位前は延礽君・ヨニングン)は、19代王の粛宗の次男として生まれました。

生母・淑嬪崔氏は、身分の賎しい地位のため、その血を受け継ぐ延礽君は、蔑視されながら育ちました。頭脳明晰で、周囲を驚かすほどの天才児だったようです。

しかし、王世子でもあり、長男である景宗は、身体が病弱で将来子を授かることができるかどうか?

と、即位後に、周囲から心配の声が上がっていました。

景宗が病弱と言われた理由の一つに、景宗の生母・禧嬪張氏が、王から毒薬を賜り処刑されてしまったことによる精神的ショックと、その後、粛宗から冷遇を受けていたことも重なり、憂鬱症になっていたという説もあるようです。

そのような状況から、粛宗は、次男で賢い延礽君を王世弟(次期国王の座)に考えたようです。

景宗と延礽君の仲は良かったようですが、延礽君が王世弟ということになれば、蔑視していたはずの朝廷の官僚の中にも、延礽君を支持しよう、という派閥も出てきます。

禧嬪張氏が生きていたころは「南人派」が景宗を支持をしていましたが、禧嬪張氏の処刑後は没落したため、即位後、景宗を支持したのは「少論」、一方、朝廷で権力を握っていた「老論派」が延礽君を支持します。

「老論派」は、延礽君を即位させるため景宗の暗殺の企てもしました。(辛壬士禍)

結局、景宗は、1720年に即位し、1724年病死。たった在位4年間です。

いくら病弱であったとは言え、ずいぶん早過ぎる死ですね。

 

当時も、辛壬士禍があったくらいなので、

「兄(王)を毒殺して玉座に就いた!」

と評判になったそうです。

もし、毒殺だとすれば、延礽君はどこまで知っていたのか?

指示をしたのか?

黙認していたのか?

老論派が、勝手に行なったのか?

今もなお、不明なだけに、

韓国ドラマ「秘密の扉」(2014年制作、全24回)のように、「脅迫されて承諾した設定」になるなど、様々な見解でドラマ化されています。

「大王の道」のドラマでも、その真偽には触れてはいませんが、「英祖が景宗を殺し玉座を奪った!」とする噂や弾劾に悩まされていたということは本当みたいです。

その件で開かれる尋問の場には、必ず同席をし、「賤しい血が流れる王」「玉座を奪った王」「景宗を殺した王」「王として正統性がない王」など、心を痛める謀反者の罵倒する声を聞かせられ、苦しんでいたそうです。

英祖と思悼世子との親子の確執

思悼世子は、 英祖の次男で、側室の暎嬪李氏が生母になります。正室に子女は無く、異母兄である長男の孝章世子が10歳で病死をしたため、ほかに息子は無く、次男の思悼世子が2歳で王世子に冊立され、10歳で恵慶宮洪氏と結婚しました。

英祖は、孝章世子や7人の王女は、とても可愛がっていましたが、思悼世子にだけは、冷たく接しました。

その接し方は、まるで姑の嫁いびりにも似ていると、臣下の間で噂されるほど酷いもので、

世子でありながら、陵墓に参る行列や式典などに、一度も同席をさせてくれなっかたそうです。

しかも、我が子であるイ・サンの生後100日目のお祝いの席にすら、参列をさせてもらえませんでした。

英祖は、尋問場で、罵声を浴びせられた後は、必ず東宮殿(思悼世子の住まい)の門前で立ち止まり、水の入った桶を持ってこさせ、自分の耳を洗い口をすすぎ、その水を東宮殿に向けて吐き捨て、桶の水を東宮殿の門前に撒き捨てて、自分の寝所に帰っていたというのです。

思悼世子は、そのストレスで心の病を患っていたらしいという話しもあるようです。

思悼世子の愚行

そんな中、ある日、英祖は倒れて意識不明の重体となります。

そのため、思悼世子が王の代理で業務をこなすようになります。特に問題もなく、十分役割を果たしました。

すると、だんだんと人がすり寄って来るようになりました。

「このまま英祖の意識が戻らねば、次期王となる」

ストレスの多かった世子に期待を持たせるような声を掛け、そそのかす言葉がけもありましたが、世子は初めての代理聴政に一生懸命で、乗り気ではありませんでした。

しばらくすると、英祖は回復して目覚め、世子の仕事ぶりを褒めてくれました。

世子にすり寄っていた者こそが、この後、謀反を計画した人物として世子を処刑に追い込むことになってしまうのです。

老論派は、世子を排除し、自分たちが操れる世子=次期王を立てたいと願っていたので、世子の弱みを探していました。

その頃から、急に世子の愚行が次々と浮上します。

都の町中で、「私は世子だ!」と名乗り、罪のない人をいきなり切り殺した。

謀反の準備をしている・・・など、

今でも、真実か、はめられたのか?

謎の愚行が英祖に報告されていきます。

そして、最後のとどめに、老論派が世子の問題行動(非行、殺人、浪費など)10箇条を羅景彦(ナ・ギョンオン)に告発させ、読み上げさせました。

その10か条の一部には、次のようなものが入っていたそうです。

  • 宮女の殺害(宮女とは思悼世子の子供を産んだ女官。身分が低く、側室に品階をあげてもらえなかった。)
  • 平壌(ピョンヤン)に王の承諾も無しに遊覧した
  • 尼僧を宮中に引き入れ風紀を乱した
  • 都の町中で、罪のない人を切り殺した
  • 謀反を準備している   他5項目

などが挙げられていました。

そして、最大の驚愕の問題行動は、世子の同腹母の妹のファワン(和緩)とのことも書かれていたというのです。

その内容が、世子とファワンが、近親相姦を行なったというものです。

これに関しては、もう一つ興味深いことがあります。

ファワンは、後に、漁師の子を養子に迎え、イ・サンが玉座につくことを阻止しようと、老論派とともにあれこれ画策します。

イ・ビョンフン監督の韓国ドラマ「イ・サン」でも、イ・サンを暗殺し、養子のチョン・フギョムを王にしようとするファワンが描かれています。

英祖は、王の血筋でありながら母の身分が低かったため、反発が多かったというのに、王家の血筋ではない養子のチョン・フギョムが玉座に就くなどあり得ることなのでしょうか?

このチョン・フギョムこそ、思悼世子の子で、ファワンが必死に玉座に就けようとした理由なのでは?

と考えると、すべてつじつまが合うことになります。

 

また、もう一つ、不可解なことがあります。

思悼世子が米櫃に入れられて、死を待つまでの8日間、誰一人英祖に思悼世子の命乞いを申し出た人が一人もいなかったという点です。

妻であるヘギョングン(恵慶宮)だけでも命乞いをすべき立場にあると思うのですが、静観し許しを請うことは無かったというのです。

もし、夫が無実で処刑され、自分も謀反の罪を犯した罪人の妻となってしまい、自分と子のイ・サンにも処罰の対象が広がる可能性もある中、何も訴えをしないということがあるのでしょうか。

そこには、恵慶宮にすら見捨てられるような事実が何かあったとしか思えないような行動にも見えますね。

処刑を言い渡す英祖

羅景彦の読み上げた思悼世子の問題行動10か条を聞いた英祖は、その場で、侮辱罪で羅景彦を切り殺したと言われています。

しかし、その後、尋問の場で、思悼世子に自死を命じ、刀を目の前に置きました。

しかし、思悼世子は、命乞いはせず、自死もしないと反発しました。

そこで英祖は、係官に、今ここで、斬首するよう命じますが、

係官は「私には、王族を切ることはできません。」

と、断ります。

そこで、自死をしないのなら、刀や毒薬を用意しても仕方ないので、

餓死させるしかないと、米櫃を持ってこさせるという、王族の処刑としてはありえないようなやり方になってしまったというのです。

思悼世子が死ぬまで、誰も水や食事を与えず、近寄ることも禁止をしました。

毎日、時々、係官が米櫃を揺らしに行き、思悼世子の声が聞こえるかどうかを確かめたと言います。

8日目、声が聞こえなくなったので、米櫃をあけてみたら、すでに思悼世子は絶命していました。

米櫃を開けるときは、蓋に釘がたくさん打たれており、釘をすべて取り除いて開けるまでに、丸一日、24時間近くかかるほど、厳重に打たれていたそうです。

そんなにも厳重に釘を打った思いとは、どんなものだったのでしょうか。

処刑後・なぜ、荘献世子として諡号されたのか?

処刑後は、恵慶宮とイ・サンは、罪人の家族ということで、一度は宮殿を追い出されました。

しかし、直系の男子がいなかったおかげか、イ・サンが賢く可愛がられていたためか、英祖は、イ・サンを長男の孝章世子の養子とし、1週間後には、また宮殿に戻らせてくれたそうです。

イ・サンは、それにより、正統な世孫(次期国王となる孫)となりますが、恵慶宮は、世孫の生母とは言え、罪人の妻のままなので、本来、宮殿に入宮できる立場では無いのですが、英祖は、それを認め、母子ともに、宮殿に呼び入れてくれたというのです。

謀反を犯した罪人の妻にも拘らず、すぐに宮殿に迎え入れてくれるなんて、おかしな対応ですね。

また、英祖は、死の間際、思悼世子の死を後悔し、名誉回復、荘献世子として諡号(諡号を奉る行為は、王権継承と即位を正統化するという意味があり、国王などの貴人の死後に奉る)を贈ったとされています。

それにより、イ・サンが、即位の時、「余は思悼世子の息子である」と宣言し、恵慶宮の位と立場も宮殿で正当化されることになりました。

思悼世子の罪は、真実なのか?それとも老論派による陰謀説が本当なのか?

国で保管されていた正式な文書は、イ・サンが国王となる時、思悼世子に関するものをすべて処分してしまったそうです。

そのため、確かな証拠がないため、様々な憶測で数多くドラマ化されています。

あなたは、どの説を信じますか?

【参考ドラマ・記事一覧】
・韓国ドラマ「大王の道」
・韓国ドラマ「イ・サン」
・韓国ドラマ「秘密の扉」
・韓国ドラマ「トンイ」
・Wikipedia「英祖」よりーhttps://ja.wikipedia.org/wiki/英祖_(朝鮮王)
・Wikipedia「正祖」よりーhttps://ja.wikipedia.org/wiki/正祖
・Wikipedia「荘献世子」よりーhttps://ja.wikipedia.org/wiki/荘献世子
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・韓国ドラマ「イ・サン」(監督:イ・ビョンフン)
・韓国ドラマ「トンイ」(監督:イ・ビョンフン)
・韓国ドラマ「秘密の扉」(脚本 ユン・ソンジュ)
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