王規の乱とは?首謀者は、ワン・ギュ?それともワン・シンニョムなのか?|高麗時代初期

高麗(918-1392)
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※「王規(ワン・ギュ)の乱」とは?

第3代高麗王定宗の即位のきっかけとなった政争で、太祖王建第10皇子広州院君(ワン・ウン)の祖父の王規(ワン・ギュ)が、孫の広州院君(ワン・ウン)を第3代高麗王にしようと企みましたが、王堯(ワン・ヨ)がワン・シンニョム(王式廉)の勢力を呼び寄せ対抗しました。この乱には、同腹母の弟の王昭(ワン・ソ)もワン・ヨの加勢に加わりました。政争に負けた王規は、一族(300人程度)が処刑されました。

王規(ワン・ギュ)とはどんな人物?

ワンギュは廣州地方の豪族出身で、太祖に仕え大匡(官職の最高地位)までになった人物です。

本名を咸規(ハム・ギュ)と言い、建国功臣の褒美として、王族と同じ”王(ワン)姓”を下賜され、王規(ワン・ギュ)と名乗るようになったようです。

しかも、二人の娘を太祖の第15妃・16妃となり、第16妃は第10皇子廣州院君を生みました。

このようにワン・ギュは、強力な豪族であり、王室の外戚として太祖晩年には、強大な実力者であったことが分かります。

しかし、ワン・ギュは太祖には忠誠を誓いましたが、息子の第2代王恵宗の王権は認めようとしませんでした。

ある時、王堯(ワン・ヨ)と王昭(ワン・ソ)が王位を狙っていることに気づいたワン・ギュは、これらの事実を第2代王恵宗に知らせました。

その時、第2代王恵宗は、ワン・ギュが、ワン・ヨとワン・ソを害そうとしていることを知り、自分の娘をワン・ソと婚姻させました。

第2代王恵宗が、ワン・ヨとワン・ソに何の措置を取らなかったため、不満を抱いたワン・ギュは恵宗を殺し、自分の孫である廣州院君を王に立てよう考え始めます。

麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~」のドラマを観ても、ワン・ウン(第10皇子廣州院君)が兄たちを差し置いて、とても玉座に就けるような立場でないことは分かります。

「王規(ワン・ギュ)の乱」で、処刑された朴述熙《パク・スリ》とはどんな人物?

朴述熙は、建国功臣で、太祖王建の側臣となり大匡(官職の最高地位)の官職についていました。

母親が三国時代に中国からの帰化人であり、高位家門の娘ではなかったため、恵宗は太子の時から勢力基盤が弱いため、強力な豪族で功臣の朴述熙に、太祖王建は、王武(ワン・ム)の支持支援をしてもらえるように遺言し、

太祖王建は、死の1ヶ月前、朴述熙に、高麗の後代王たちが必ず守らなければならない教訓「訓要十条」を伝えました。

その中には、

”王位継承は特別な場合ではなければ長子を先にする。”

という決まりがあり、

これにより、長子が優先されるから、弟たちは玉座を求めないようにという父からの王位争奪を避けるための願いが込められていたのでしょうが、

臣下や王子は、特別なことがあれば、

”長子以外にもチャンスがある!”

という風に受け取られてしまったのでしょう。

王規(ワン・ギュ)の企みとは?

ワン・ギュは、二度にわたって恵宗の殺害を試みたという話しが残っています。

一度目は、恵宗の寝室に暗殺者を潜入させて殺そうとしましたが、ちょうど恵宗が眠りから覚め暗殺者を拳で殴り殺し危機を免れたということです。

また、その次は、ある晩、複数人の刺客で恵宗の寝室を急襲させましたが、恵宗は、既にチェ・ジモン(崔知夢)のアドバイスで他のところ(重光殿)に居場所を移した後だったため助かりました。

ワン・ギュの勢力が恵宗の王権を圧倒していた状況で、勢力基盤が弱い恵宗は、ワン・ギュに処罰を与えることはできませんでした。

当時、恵宗の重臣でもあり義父でもあるという立場で実権を握っていたワンギュと対立関係にあった朴述熙も身の危険を感じていました。

一方、恵宗の異母兄弟の王堯(ワン・ヨ)は、西京のワン・シンニョム(王式廉)勢力と結託し、王位を狙います。

恵宗は、暗殺の脅威に、正常な思考と行動をすることができなくなっていました。

恵宗が、即位以来、病床についていたのもこのような状況と深い関連があるのだという見方もされています。

最後に、ワン・ギュの乱は、王堯(ワン・ヨ)と結託したワン・シンニョムの西京軍事力の介入により失敗しています。

「高麗史」には、ワン・ヨがワン・シンニョム勢力と結託したのは、ワン・ギュの謀反に備えたものだと記録されていますが、

その後、これは恵宗の王権を守るためのものではなく、王堯(ワン・ヨ)の王位継承のための布石だったのだろうと解釈されるようになりました。

王堯(ワン・ヨ)は、945年に西京のワン・シンニョムの軍事力を開京に呼び込み、ワン・ギュ一族を300人も殺しました。

一方、恵宗の勢力である朴述熙も殺害し、その責任をワン・ギュに転嫁しました。

朴述熙は、太祖の遺命まで受けた忠臣だったので、ワン・ギュ一族殺害の真相を隠蔽する必要があったからです。

定宗は、このように王位継承の妨げになる敵対勢力を一掃した後、王位に上がったということです。

様々な経緯は、勝者の記録として、

「王規の乱」は、謀反だった!

と残されています。

そして、第3代王定宗もワン・シンニョムの勢力を利用して玉座に就いたため、実権は、ワン・シンニョムに握られることになります。

「王規の乱」が描かれているドラマ視聴について

「王規の乱」が描かれている韓国ドラマは、以下のようになります。

☆『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』(サイト内記事:番組情報・感想)
主演:イ・ジュンギ、イ・ジウン(K-POPのIU)、カン・ハヌル、他

☆『光宗大王 〜帝国の朝〜』
主演:キム・サンジュン、チョン・ヘジン、ノ・ヨングク、他

これらのドラマが配信されるのは、現在少なくなっています。

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