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大王の道 最終回・あらすじ《ネタバレ》思悼世子が米びつで餓死した驚きの実話を描いた!

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英祖・第21代王(延礽君)
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韓国ドラマ「大王の道」の概要

【話数】全34話
【演出】イ・ビョンフン/代表作「イ・サン」「トンイ」「宮廷女官 チャングムの誓い」
【脚本】イム・チュン/代表作「洪國榮-ホン・グギョン-(2001年)」「張禧嬪(1981年~1982年)」「妖婦 張禧嬪(1995年)」
【制作・放送】MBC、1998年4月から8月放送

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「大王の道」思悼世子の最期!のまとめ《ネタバレ》

英祖35年(1759年)世子の微笑ましい家族の様子

様々な疑惑により何度も陥れられたり、そのたびに精神を病むほど苦しんできた世子でしたが、世子嬪との仲は良く、世子嬪とは1男2女、イム尚宮とは2男(後の恩彦君、恩信君)を設けていました。

しかし、以前の「疑惑」事件から、英祖の世子に対する冷遇は継続しており、家族を連れて英祖のお見舞いに行っても、世子ファミリーだけは嘘をついて、部屋の中に入れてもらえません。

世子は、「やっぱり」と思いながらも、イ・サン(後の正祖)は、この様子がおかしいことに気付き始める年頃になっており、

世子嬪に「父上が不憫だ。どうして、王様は父上を憎んでいるのか?」と世孫が尋ねるほど、あからさまな態度で嫌われていました。

一方、ムン昭媛は2女を設け、王子はまだ産んでいませんでした。

そして、世子を守り、頼りにしていた仁元王后金氏(1757年5月13日死去)、貞聖王后徐氏(英祖の正室、1757年4月3日死去)や、世子嬪の実母など、立て続けに、亡くなっていました。

世孫(イ・サン、後の正祖)だけは、勉強熱心で、英祖に好かれていました。

英祖の新王妃の選定!

貞聖王后徐氏(英祖の正室)の喪が明けぬうちから、王妃の席が空いていることに、誰もが注目し始めていました。

若い王妃であれば、王子を産むかもしれない。

そうなれば、世子の降格は決定的となり、新王妃は王大妃になれるので、その一族は大きな権力を持つことができるようになります。

しかも、王子が幼いうちに英祖が亡くなれば、王妃は垂簾聴政として、政治を行なうことができるわけです。

それを阻止するために、世子嬪の叔父の洪麟漢(ホン・イナン)は、洪鳳漢に、洪鳳漢宅の書生である慶州金氏の金漢耈(キム・ハング)の娘を推してはどうか?と持ち掛けます。

金漢耈(キム・ハング)は、真面目な書生で、十数年、洪鳳漢に仕えていました。キム・ハングは、世孫の立場まで失わないように進言するほど、信頼できる書生だと思っていました。

キム・サンノ側の人脈から王妃を出す前に、洪鳳漢側から、王妃を出すという作戦も、キム・ハングの薦めでした。

そして、思った通り、キム・サンノ側でも、新王妃を決めていました。朝廷には、「新王妃を娶る」か「世孫」を跡継ぎとして任命するか?意見は二分されて上書は届き始めていました。

しかし、キム・サンノは、「世子だけでなく、世孫も同様にして、世子にしてはならない!我が党が危機に瀕してしまう!だから、新王妃に、王家の血筋の子を養子にしてもらうのだ!」

という流れで、世子降格後の準備を考えていたのです。

英祖もまた、世子を降格にすることを決心し、新王妃を娶る前に、世孫を皇太孫にし、王位継承者とすることを、仁元王后金氏の位牌に報告します。

そして、キム・サンノが権力を強める王妃の人選を決めているだろうから、新王妃は、洪鳳漢側から選んでおくように、洪鳳漢に指示します。

王命により、洪鳳漢は、金漢耈(キム・ハング)の娘ヨンジュ(後の貞純王后金氏)に決めたいとキム・ハングにお願いします。

60歳過ぎの老人に、14歳の娘を嫁がせると聞いて、悲しくて仕方がないキム・ハングでしたが、断ることが出来ず、泥酔して家に帰ります。

しかし、意外にも、ヨンジュは、王妃になって栄華を極めたいと覚悟を決めてくれます。

英祖が危篤!

皇太孫の任命式前に、英祖が倒れて危篤になります。

「回復は難しいかも?」「このまま死んでくれたら・・。」と願いながら、世子は、最良の医療チームを用意するため、侍医のほかにも、民間の腕のいい医師がいれば、集めるように指示します。

その一方では、チョ・ユジンや、オム・フンボクに、今後、自分が王になった時のための準備を始めておいて欲しいと頼む世子。

朝廷の官僚らに大人しくひれ伏されて、「自分も、10年くらいは王をやってみたくなった。」と本音を言います。

ところが、期待も虚しく、英祖は、快復して意識が戻ったのです。

目を開けた英祖は、「世子は嬉しそうな顔をしていない。」と言いがりを付け、真夜中にも関わらず、仕事に戻り、部屋を立ち去るように言います。

翌朝、英祖の部屋を訪ねると、朝廷の官僚たちだけが入室を許可され、英祖の看護の褒賞を与えますが、世子は、功労者の名前に入っていません。

キム・サンノが「一番の功労者は世子様です。」と進言しますが、「皇太孫の任命式を急いでやらなければならない。」と話題を変えます。

そして挙句の果て、「外に待っているのは?」という質問に対して「世子様ご夫妻です。」と答えると、「今の話しをしようと思ったが、聞こえただろう。もう帰ってよい。」

と、会うことを拒絶します。その言葉に、ワナワナと怒りで震える世子の様子に、世子嬪は慰めようがなく、また暴れ出さないか?心配でいっぱいになります。

結局、世子だけ、 仁元王后金氏の位牌前で行う「皇太孫の任命式の報告」の参加も拒否され、何も知らない子ども達が「一緒に行こう!」と誘うため、余計に寂しい思いを噛みしめていました。

新王妃の誕生!

英祖は、揀擇(カンテク)で、キム・サンノたちが選んだ女性を気に入りますが、入宮の日、母親が亡くなってしまったことで、キム・ハングの娘の入宮が決定します。

キム・ハングは、あっという間に昇進して、洪鳳漢たちよりも爵位の高い府院君になります。

ムン昭媛は、自分よりも若い貞純王后金氏が王妃となり、英祖からの寵愛が無くなるのではないか?と心配でたまりません。

貞純王后金氏は、宮中に入るなり、自分が敬われていない理由に、父親のキム・ハングが、これまで、世子嬪の家(洪鳳漢の下)で書生をしていたためだと言い始め、

世子嬪、暎嬪李氏、ムン昭媛、イム尚宮を呼び出し、序列を教えるため、言いがかりをつけて、世子嬪のふくらはぎをムチで叩いて見せしめにします。

いよいよ「皇太孫の任命式」の日。

やはり、世子の参列は、許可されませんでした。

腹立たしい気持ちで剣術を練習していた世子は、相手の武官を刺し殺して、返り血を浴びました。

その瞬間、我に返り、武官を殺してしまったショックで、情緒不安定になる世子。

世孫が挨拶に来ても、血まみれなため、会うことが出来ず、立派な姿を見ることもお祝いすることもできず、ただただ、悔し涙が溢れる世子でした。

すでに、王位継承者は、世孫(イ・サン)と決まった今、英祖にとって、後は世子をどのようなタイミングと理由で、どのような処分を与え、降格とするのか?それだけが決まっていませんでした。

ムン昭媛 対 貞純王后金氏

孫たち(世子の子供たち)は、「新王妃は”姉”のようだ。」と言い、世子嬪、暎嬪李氏、ムン昭媛は、貞純王后金氏の「14歳という若さ」が気に入りません。

そこで、再び、ムン昭媛による悪意の流言が、宮殿の内外に広まります。

それは、若い王妃は、年老いた英祖ではなく、若い世子に心惹かれており、お互いが想い合っているのではないか?

という噂話を流します。英祖と夜を共にしている時も、背を向け密かに涙を流す貞純王后金氏の姿を見た英祖は、またムン昭媛のところに足を運ぶようになります。

ムン昭媛は、めいいっぱい歓迎してご機嫌を取ってくるので、居心地の良さを感じる英祖でした。

親子の深まる「疑惑」

そんなある日、世子は、英祖に呼び出されました。

それは、東宮殿のお金の使い道を叱られるためでした。

チョ・ユジンや、オム・フンボクを通して、王になった時のための準備や人集めにかかった費用を指摘したものでした。

「節約のために『禁酒令』を出しているほどなのに、おまえというやつは、大金を派手に使い、商人にまで借金をして!」と立腹しています。

英祖は、心の中で、「(謀反に向け)味方の兵士を育てている可能性がある。」と、考えます。

そこで、内官に、世子と接触している人や商人を調べるように指示します。

英祖の疑いを感じた世子は、チョ・ユジンと、オム・フンボクの宮殿の出入りを禁止し、商人にも、取引を口外しないように、口止めを依頼します。

英祖と世子の不穏な動きに、世子嬪は、和緩に「英祖か世子のどちらかを、住まいを慶煕宮に移り、父子の住む距離を離してほしい!」と頼みます。

和緩に勧められて慶煕宮に移った英祖は、兵の布陣の練習を開始したのです!

世子からの贈り物と遺言

事態を重く受け止めた世子は、世孫を連れて、二人きりで宮殿の外にお忍びに出掛けます。

そして、民のそばで渡したかったと、風呂敷包みを贈ります。

開けてみると「日省帳」がありました。王になる日まで、反省や思いついたアイデアを、毎日書き留めて、聖君になって欲しいこと。「皇太孫の任命式」の日に渡す予定であったことを伝えます。

そして「遺言」として、イ・スンシンの閑山島のような国を作って、世孫に譲りたかった気持ちと、もし、自分に出来なければ、世孫に叶えて欲しいとお願いしまします。

温陽行宮と英祖の警戒

世子は、「足が痛いので、温泉に浸かりたい」と、和緩から英祖にお願いをして欲しいと頼んだところ、初めて温陽行宮(オニャンヘングン)に行く希望が叶いました。

行宮の時は、民に目立つように、たくさんの兵士を連ねて楽師もいたり、王の権威を示せる行列となるのが普通です。

世子も、どのくらいの規模の行列になるのか楽しみにしていると、わずかな兵士で、村長にも劣るような小さな規模の行列でがっかりしました。

英祖が疑っているからだと思った世子は、チョ・ユジンと、オム・フンボクに、留守中、承政院の記録を調べ、慶煕宮の動向にも目を配るように言います。

そして、英祖もまた、世子の行動を密かに調べるように命じるなど、お互いに、一触即発の雰囲気まで緊張状態が高まっていました。

その一方で、英祖は、「皇太孫に会いたい」と、世子の行宮よりも大規模な行列で、民に見られながら慶煕宮まで来るように指示します。

民にとって、行列の規模は、威厳の大きさを意味します。英祖の心中は、この時点を見ただけでも、見捨てた世子と、後継者扱いの皇太孫への待遇に、あからさまな意図が感じられます。

この対応に、皇太孫(イ・サン)は、「英祖を尊敬すべきか、憎むべきか?」という心境を世子嬪に吐露します。

行宮先で、チョ・ユジンと、オム・フンボクの報告を聞いた世子は、驚きました。

自分が出宮した後、英祖は、世子が謀反を起こし大勢の兵で攻めてくると考えて行動していたことが分かります。

「だから、行宮に僅かな兵しか出さなかったのか・・」

と、ここまで疑われていたとは、呆れるばかりで、悔し涙を浮かべました。

謀反の兆候がないと報告された英祖もまた、何度も怪しい点はないか?尋ねますが、思い違いに驚きますが、ひとまず安心しました。

世子の放棄

今回の行宮で、英祖の意思を感じ取った世子は、宮殿を出て、自由に気ままに生きたいと思い、智異山に行こうと考えます。

「もう二度と帰らない。みんなと会うこともない。」

尚宮や内官達に告げると、行宮先から宮殿に帰らずに出て行こうとします。

チョ・ユジンと、オム・フンボク、尚宮や内官達、みんなで説得し、何とか引き留めて、宮殿に帰りました。

英祖に気にいられる皇太孫

皇太孫(イ・サン)は、英祖の前でも、勉強熱心で、大臣たちからの質問にも、素晴らしい受け答えをするので、英祖は、大喜びしていました。

さらに、皇太孫(イ・サン)を褒めるたびに、必ず、世子の悪口を言うのでした。

分承旨が「学問の記録」を世子のところに持ってくると、待ち伏せしていた世子嬪が、「世子を悪く言っているところと、皇太孫を褒めているところをすべて消してから持ってくるように!」と命令します。

そして、皇太孫(イ・サン)にも、同じことをお願いし、世子に聞かれても、絶対に話さないように注意します。

ようやく修正された「学問の記録」を、黒く塗りつぶされたところばかりで持ってくると、世子に指摘を受けますが、「誤記だと思います。」と言いますが、不信感は残ります。

今度は、皇太孫(イ・サン)を問い詰めて、英祖が自分の話しをしたかどうかを確かめようとしますが、母である世子嬪と約束した皇太孫(イ・サン)は、「聞いておりません」と言い続けました。

自分に明らかな嘘をつく皇太孫(イ・サン)に、腹が立った世子は、皇太孫(イ・サン)の顔を強く叩いてしまいます。

我が子に手をあげ、自分の愚かさに気付いた時、世子嬪や暎嬪李氏、和緩が入って来て、皇太孫(イ・サン)は鼻血を出し、異様な雰囲気を感じ取ります。

世子は、暎嬪李氏に対して「なぜ、私を産んだのか?私に両親はいない!・・」暴言を吐き続けて、部屋から出ていきました。

尼寺と偽世子

すでに居場所がない世子は、尼寺にいるお気に入りの尼さんに会いに行くことが増えました。

尼寺では、早く、庶民として降格されることを祈願していたのです。

ところが、尼寺に行く話は、ムン昭媛やキム・サンノの耳にも入り、キム・サンノは、「悪事に利用しよう!」と言います。

しばらくすると、町中に、偽世子が現れ、民を襲い、悪事を働きます。花嫁の行列を襲い、暴力を振るい、夜間通行禁止を破り、「世子が外出している噂は聞いてるだろ?」と、巡察官を殴り、武器まで奪ったり・・。

やりたい放題に、世子の評判を落としていきます。

民は、世子を見たことが無いので、「世子様ですぞ!」とお付きの者が言えば、民は、それを信じるしかなく、世子が酷い行いをしている!と思わせました。

実行者は、ミン尚宮の弟で、ソングクの手下でした。

ソングクがキム・サンノに、派手にやり過ぎて事が大きくなり過ぎてしまったことを謝りに行き、対処をお願いしたところ、「偽物がバレないように、思う存分に暴れるといい!」と容認します。

そして「だれも止められないような騒ぎを起こせ!」と指示します。

「王への報告は、こちらでやるから、ソングクは報告しなくてよい。」

と、キム・サンノの企みとして、世子降格への強力なネタとして、扱われるようになります。

宮中でも噂は広がり、和緩は、世子嬪に世子の外出を止めるように言い、世子を止めようと世子嬪も頑張りますが、

「降格したいから、外出している。偽物に礼を言いたいくらいだ!誰か、早く王様に報告しろ!」

と言って、今夜も外出をして行きました。

英祖の世子降格のタイミング

英祖にとって、継承者は皇太孫(イ・サン)に決めたものの、世子降格のタイミングには悩んでいました。

皇太孫(イ・サン)は、まだ10歳。英祖の身に何かあれば、10代の貞純王后金氏が垂簾聴政を行なうことは目に見えている。

キム・ハングの娘を入宮させたのは、洪鳳漢だが、利があれば誰でも裏切る。

そうなれば、府院君(キム・ハング)が清風金氏一族(※故明聖王后金氏の一族、キム・サンノなど)と手を組み権力が増せば、皇太孫(イ・サン)が退けられるだろう。

そこで、洪鳳漢に権力を与え、府院君(キム・ハング)やキム・サンノを牽制させよう。

皇太孫(イ・サン)が即位できるような年齢になるまで、世子が妙な気を起こさないようにすれば、皇太孫(イ・サン)を守れると考えていたのです。

ソングクが企んだ偽世子事件の結果は、「世子が、盗賊のように暴れまわれば、民からの不満の声が爆発し、上書が山のように届くと思っていたところ、何も起こらない!」と、残念がるキム・サンノ。

民は、「『本物の世子』だと噂を信じていないようなのだ。失敗だ!」とキム・サンノはソングクに伝えます。

キム・サンノには、民は、英祖が厳しすぎて、魔が差しただけ、可哀そうな世子を擁護しているように見えるのだと言います。

民は、世子を守ろうとしていたのですね~。

世子は揺れ動く心で平壌遊行

チョ・ユジンと、オム・フンボクは、「このまま不幸になる日を待っているだけですか?」と、謀反を起こす相談を世子に持ち掛けます。

「決心されれば、100人以上の将兵が集まってきます。彼らは、選び抜かれた兵士です。これまでに育てておいた臣下もいます。」

とまで言われても、世子の心は揺れ動いても『決起の決意!』とまではいきません。

親子で睨み合う中、王の承諾も無しに、世子は平壌に出掛けてしまいます。

もはや、英祖の疑惑を払しょくする気持ちも残っていません。

平壌には、和緩の義叔父チョン・フィリャンが平安観察使(キム・サンノの仲間でもある)をしていたので、訪ねていきます。

和緩の義叔父チョン・フィリャンを訪ねた理由は、遊行がバレて処罰されるとき、和緩の嫁ぎ先が没落してしまうため、義叔父チョン・フィリャンは処分はされないと考えたのです。

そして、平壌の美女の妓生を集めを義叔父チョン・フィリャンに頼み、10日以上経っても帰る素振りがなく、遊びほうけます。

自分にもお咎めの巻き添えを食らいそうだと悲鳴を上げた平安観察使から、あちこちに助けて欲しい旨の連絡が届けられ、キム・サンノは、「これを機に、命を奪わねば!」と、意気込みます。

政丞に昇進した洪鳳漢と世子の決断

ちょうど、そのころ、英祖は、体調を崩し寝込んでいたため、この先の王位継承が気がかりになり、洪鳳漢を右議政に任命し、キム・ハングらを牽制します。

しかも政丞(領議政・右議政・左議政)は3人いるはずのところ、すべて席空きだったため、右議政と言えども、領議政相当の権力を与えられたようなものでした。

そして、洪鳳漢は政丞として、王に不忠を働かないためには、世子の平壌での遊行を、どのように報告、または、隠すのか?皇太孫(イ・サン)や自分たちまで影響を受けないためには、どうすればいいかをホン・イナンと話し合います。

そして、各地で謀反の準備を確認してきたチョ・ユジンと、オム・フンボクが合流し、「決断されましたか?」と尋ねると、「謀反は行なわないことで、苦難の決断をした!」と、二人に告げます。

理由は、「父王を殺めた王になりたくない!」ということでした。

決断した世子は、滞在15日で、宮殿に帰っていきました。

宮殿に帰った世子は、病で3カ月寝込み、義叔父チョン・フィリャンは、洪鳳漢の推薦により、右議政となり、右議政だった洪鳳漢は左議政になります。

暎嬪李氏と和緩も迷惑をかけたことを謝罪しました。

英祖に平壌遊行が知らされる!

この機会に決着させたいキム・サンノに急き立てられ、ムン昭媛から英祖に平壌遊びの報告がされてしまいます。

英祖は怒り、5月から6月の承政日記を持って来させ確認したところ、「平壌行きは、臣下も民も周知の事実なのに、皆が英祖の前では知らぬふり。・・」などが読み上げられました。

洪鳳漢は呼び出され、罷免されました。

ところが、世子は、大した罪が問われず、洪鳳漢は領議政に昇進したのです。

その選択に、キム・サンノは、皇太孫(イ・サン)が15歳になって政治が行える年齢になるまでは、世子の降格をしないつもりだという英祖の考えを読みとったのです。

それならば、「謀反の策」にしよう!と企みを考えます。

羅景彦の「世子非行十か条」事件

計画は、刑曹判書ユン・グ宅に奉公していて追い出されたばかりの羅景彦(ナ・ギョンオン)に託します。弟が東宮殿で別監を務めてるいることが抜擢された理由でした。

羅景彦に「命をかけてみないか?成功すれば、一生遊べるぞ!」と持ちかけます。

羅景彦が引き受けると、早速、英祖のところに「謀反の知らせ」が入ります。羅景彦の弟が東宮殿で別監を務めてるいることから、信ぴょう性のある話でした。

そして、宮殿の門を閉じさせ、審問場へ政丞を呼び出しました。

審問が始まると、いきなり謀反は嘘だったと言い始めます。

王様に直接渡したくて、嘘をついたと言って、懐から文書を差し出しました。

「世子非行十か条」と書かれ、世子の非行の数々を並べ書いたものでした。

王と洪鳳漢だけが目を通し、その場で焼かれてしまいました。

審問の場に、世子も呼び出されました。

「世子非行十か条」には、

・尼を宮殿に入れ、風紀を乱したこと。

・平壌で妓生と遊んだこと。

・禁酒令に背いて酒を飲んだこと。

・宮女や内官、側室を殺めたこと。

・商人に借金があること

・婦女暴行を働き、その者を殺した。

など、十か条が書かれていました。

世子は、「罪は犯したが、話しが誇張されているので、書いた本人に合わせて下さい。」とお願いしますが、合わせてもらえず、決め付けられた言い方で、激しく責められました。

洪鳳漢は「父子の仲を裂いた罪」「謀反だと嘘をついた罪」により、「羅景彦を処刑して下さい!」と、世子を擁護したため、再び、領議政は罷免されました。

羅景彦は、ムン少監やキム・サンノの名前をあげながら助けを求めるも、首をはねて死刑にされてしまいました。

英祖と世子の心境

翌日、世子と東宮殿に仕える者、チョ・ユジンと、オム・フンボクたちで、席藁待罪をします。

英祖は、宿直している兵の人数を7割減らすことや、世子による商人への損失や不満があれば申し出るようにして、弁償に対応するように命じます。

寝込んでいる英祖は、ムン少監を呼び出し、世間の噂を確認します。

・世子が英祖を殺し、玉座を狙っている。

・南人や老論、庶子、下女の子供が支配する世の中になる。

・仙術を身に付け、化けたり、瞬時に移動したり、霊を呼び出す力を持っている。

・春川の判府事チョ・ジェホが、世子を助けるために加平に来ている。

・寡婦の和緩王女を暴行した。

このような噂を聞いたことはあるか?と尋ね、ムン少監は、「世子非行十か条」に書かれていたんですか?と言いながら、すべて噂で聞いたと答えます。

世子は、旗を保管する地下の穴に引きこもり、チョ・ユジンと、オム・フンボクに、再度、謀反の意思がないことを伝えます。

本来なら、王を殺そうと思ったのなら死刑だが、今後は、気がふれたフリをしながら、流刑にしてもらい、いつか、イ・サンが王になった時、助けてもらおうと思う。

息子のための演技だと、知らせておきたかったと伝えます。

守りたい人

洪鳳漢とホン・イナンも、今後の相談を始めました。

謀反なだけに、誰も世子を擁護する人がいない。養護すれば、その人も、謀反と同罪になってしまうから。近いうちに、洪鳳漢も、婿をとるか?孫をとるか?選ぶときが来そうです。欲を出せば、両方を失うかも。

そして、(気のふれたフリをする)世子の態度を見て、暎嬪李氏は、噂のようなことを「やりかねない」「王を殺すことも有り得る」と思ったと和緩に言います。

噂の一つでもある「和緩王女を暴行した」というのは、本当なのか?と尋ねると、返事をせずに微妙な表情で顔を逸らす和緩。

しかし、その後、英祖のところに行き、あの「世子非行十か条」に書かれていることは「嘘で覆いつくされています。作り話です。」と証言します。

昨夜、領議政洪鳳漢を罷免したばかりなのに、今日は、左議政に任命し、英祖は、皇太孫を守るために、洪鳳漢の権力を維持しようとします。

さらに、皇太孫の義祖父のキム・ソンウンを兵曹判書に任命し、軍権も皇太孫側に握らせます。

この人事は、洪鳳漢にも、英祖が世子を見捨て、皇太孫を選んだ心中を読み取れるものでした。

その足で、世子の様子を見に行くと、世子は、降格してもらうため、奇行を繰り返していました。

状況を把握できた洪鳳漢は、世子嬪に会いに行き、「”夫”か、もしくは”息子”を選ばねばなりません。どちらかを捨てなければ、両方を失います。」と、言いに行きます。

究極の選択をすぐには選べず、悩む世子嬪。

世子の処分を言い渡す前に、暎嬪李氏に会いに行き、相談する英祖。

「全ては親の責任だ。生後100日で世子にしてしまい、幼い頃から、憎んで、傷付けてきた。」と、二人で涙を流します。

もはや、会話は、反省ばかりで、救う話は出てこない状況でした。

世子は、何やら決心して立ち上がると、刀を手に、水路を通って、慶煕宮に行きムン昭媛を殺し、王様の前で自決して、潔白を証明する!

と、世子降格を諦め、自分の最期の意思を貫こうとします。

しかし、銃を持った兵士に見つかり、逃げ帰ったため、失敗に終わりました。

この行動は、世子が英祖を殺しに来たものだと疑いを持たれ、英祖の世子に対する決断を早急にしなければ、国が滅んでしまう!と、処分を決意するきっかけとなってしまいます。

1762年(英祖38年)5月13日・世子処罰の日の朝

英祖は、世子の暮らす昌徳宮にあるソヌォン殿(先祖を祀る)に行きました。

嫌な予感がする世子は、チョ・ユジンと、オム・フンボクらに助けを求めましたが、すでに手遅れでした。

世子嬪のところに兄が、洪鳳漢からの言伝で「英祖が、昌徳宮に向かったこと。そして、先日の(どちらかを選択する話し)ことを忘れないように!」とのことで、世子嬪も、いよいよ、その日が来たことを知ります。

世子が世子嬪を呼び出しますが、先に、世孫のところに行き、「これから何が起きても、驚かないように!心を強く持ちなさい!」と言って、世子のところに行きます。

英祖が決心した以上、世子嬪の選択も「息子」となってしまったようです。

世子も、今日が自分の命日になることを薄々感じとっており、不安そうな様子でした。

「死への道連れはいいから、長生きしろ!」と、世子嬪に伝えます。

英祖が自決を求める!

昌徳宮にあるソヌォン殿(先祖を祀る)で、ご先祖様に、世子に自死を求めるという謝罪と報告をする英祖。

すると、宮殿内に、兵士を呼び集める軍の角笛の音が響き渡ります。

世子は、「今日が俺の命日になるんだ!」と、もはや、世子降格ではないレベルの処罰であることを悟ります。

その時、英祖からフィリョン殿(皇太后の位牌を祀る)に来るように、呼び出しが入ります。

「殺される!」と恐れる世子は嫌がって行こうとしません。そして、さらに、軍を布陣する合図の角笛も鳴り響き、

すでに、宮殿は、世子を救おうという逆賊の謀反に備えながら、大勢の兵士に囲まれていることも想像でき、世子はますます恐れます。

フィリョン殿の前には、英祖のほか、護衛の官吏、承旨、史官のみが立ち入り、それ以外は、立ち入りを禁止されました。

覚悟を決めて出発する世子に、「どうか無事に戻ってきてください。」と声を掛けたのが、世子嬪との最後の会話になりました。

自決の王命!

フィリョン殿の門に入り、英祖の前で一礼をすると、衛兵に囲まれ刀を向けられ、御衣と帽子を脱がせました。

全官吏が、見届けるため、フィリョン殿に入場します。

英祖は、「『弑逆の変』(※主君や父親など目上の者を殺害)が起こるという声が、お前には聞こえないか?」と、問いただします。

「お前は大罪を犯した。自らの手で命を断て!自害しろ!自決すれば、世子の名を残してやる。」

最初は、自決を拒否していた世子も、覚悟を決めますが、刀も毒薬も与えらずに、「自決しろ!」と言われるため、世子は、衣を切り裂いた布で、自分の首を絞めますが、失神するだけで、3度試みても死ぬことが出来ませんでした。

目を覚ますと、「臣下が甘やかすから、世子が愚か者になったのだ。全員罷免だ!」と英祖が言うと、世子は、頭を石畳に何度もぶつけて、額から血を流し始めます。

世子を擁護する声をあげたものは、書記官ですら、全員その場を追い出されました。

そこに皇太孫(イ・サン)が泣きながら流入し、英祖の前で跪き、「父上を助けて下さい。」と、泣きすがりますが、追い出されてしまいます。

米櫃に閉じ込め、餓死を提案

結局、訓練隊長ク・ソンボクの提案で『米櫃』に入れて、餓死させるという方法をとることになります。

訓練隊長が、「私たちは、首の紐を解くことはできても、締めることはできないためです。」と説明します。

世子の目の前に米櫃が運ばれてきますが、世子は、必死で「許してください。」と謝罪し、中に入ろうとはしません。

夜になり、訓練隊長ク・ソンボクが「機嫌を害されるばかりで、もっとひどい目に合う前に、入ってください。すぐに出してくれますよ。」と耳打ちをし、ようやく、よろけながら、中に入りました。

入ると同時に、急いでふたを閉め、蓋の上に一人が重しのように乗ると、釘を打ち始めました。

中から「やめてくれー。ここから出してくれー!」と暴れながら叫ぶ世子の声が聞こえてきますが、

釘を打った後は、大きな石を乗せて、紐で縛るように英祖は命じていきます。

その後、米櫃をとり囲むように、見張りの兵士が立ちます。

宮殿を出る世子嬪

その晩、世子嬪から、英祖に上書が届きます。

「世子が廃位になったため、自分は、実家に戻ります。・・中略・・皇太孫は天命に任せます。」という内容で、助けを求めるものではありませんでした。

英祖からの返事は「世子嬪は庶民だ。宮殿では暮らせない。実家に戻れ。」とのことでした。

世子の死を待つことなく、世子嬪は、皇太孫や王女たちと一緒に実家に帰って、知らせを待つことにしました。

米櫃内の世子の様子

5月と言っても暑い夜で、英祖は団扇であおいでもらっているような気温でした。

米櫃は、英祖の指示で、小さな穴も閉じられ、その夜のうちに、修文堂に移され、前後の門を閉鎖して、たくさんの草を、米櫃の上に、山のようにたっぷりと撒くように命じました。

この処置で、米櫃内の温度は一層高くなり、息苦しくなったと思われます。

訓練隊長ク・ソンボクは、本気で殺すとは思っていなかったらしく、「世子様への食事はどうしますか?」と尋ね、英祖に「正気か?水一滴でも与えるものはすぐに首をはねろ!」と、怒られます。

翌日から、毎日、米櫃を揺らして、世子の生死を確認します。

「一口でいいから、水を飲ませてくれ。」と、何度も声が聞こえてきます。

世子は、反省して耐えていれば、いつか許して出してもらえると、初めのうちは思っており、我慢をします。

しかし、米櫃の中で、「羅景彦の言葉を信じて、こんな目に合うのは、納得がいかない。」

「庶民になったのだから、罪の代価は清算できているはずだ。なぜ、罰を受けているんだ?」

「米櫃が墓場になるんだ。訓練隊長ク・ソンボクに騙された。」

「暑い!砂漠のようだ。夢か現実か分からない。水が欲しい。もう小便も出ない。夕べは尿で喉の渇きを癒した。脚をつねっても感覚が無い。脚から先に死んでしまった。」

「死ぬ前に、一口だけ水を飲まして欲しい。あの世に送る前に、脚を伸ばさせて下さい。」

悲痛な世子が、米櫃の中で弱っていく姿が、長々と描かれています。

関係者の処分

宮殿の敷地内に世子が作った地下室を見に来た英祖は、世子を遊ばせた官吏を島流しの刑にするように命じます。

尼と平壌の妓生は、死刑にするように言いました。

地下室にあった旗と刀は、暎嬪李氏の宮殿前で焼くようにも命じました。

世子嬪は、実家で水を一滴も飲まず、弱っており、皇太孫に心配されていました。

英祖からの伝言が、洪鳳漢を通して伝えられます。

「皇太孫をそなたにまかせる。そなたを信じているぞ。皇太孫を頼んだぞ。」

世子嬪は、今回のことで「恨めしく思うのは運命で、誰でのせいでもない。寛大な心を持つことが王様への恩返しになります。」と、誰も恨まないように皇太孫に言い聞かせます。

そして、皇太孫は、洪鳳漢に「今日、入宮した時、父上を助けてくれと頼みましたか?」と質問します。

「申し訳ございません。」と答える洪鳳漢に、「父上は降格を命じられたので、亡くなったも同然です。臣下が必死に願えば救えるはずです。もし、父上が亡くなられたら、目と目を合わせられますか?」と責め立てます。

そこまで頼む皇太孫に、洪鳳漢は「申し訳ございません。」としか言えませんでした。

洪鳳漢親子も暎嬪李氏も、世子を心配しながらも、皇太孫を守りたい一心で、英祖の命に従い、世子を救うことをお願いすることができかったのです。

世子を救うための最後の機会

チョ・ユジンは、判府事チョ・ジェホ(前右議政、少論派の重臣、妹に賢嬪)を連れて、都城にやってきました。

判府事チョ・ジェホは、以前に、「南人派や庶子も登用すべきだ」という考えが世子と同じだったことを話したことがあり、救うために遥々駆け付けたのです。

しかし、洪鳳漢にハメられ、世子を救ってもらえるように英祖に会う機会を逃してしまいます。

そのころ、キム・サンノとキム・ハングが二人っきりで話し合いをしていました。

「今なら、まだ世子降格だけで、命を救うことができると思います。私の味方になってくれますか?」と、キム・サンノは、府院君のキム・ハングに尋ねました。

そして、キム・サンノたちは、党論は、皇太孫(イ・サン)も廃位し、王族の子息を貞純王后金氏の養子にして、王位継承をさせることだと伝えました。

「府院君、力を貸してくれるかね?」と尋ねると、

「私が、ここに来たことが答えになっている。」と答えます。

民に知らせる文書作成(5月15日)

文書は、以下の通り。

「世子の異常な行動が原因で、国家と民に対して気をもんでいた。私は、世子と親子であるため悩んだ。先日、妃殿下(暎嬪李氏)は、私に涙を流しながら訴えた。世子が、内侍と女官、部下を殺した。人数は、数十名に及ぶと話していた。別監たちが、妓生や尼を次々と与えるせいで、世子は、昼夜を問わず、遊び惚けていた。最近は、よりひどくなって。悪辣な噂まで広がっている。世子は身体が弱ってしまい、危険な状態だ。報告すべきだと思い、やっとの思いで、私に打ち明けてくれたそうだ。妃殿下(暎嬪李氏)は、雨のような涙を流していた。白髪になった老人が、前代未聞のの事態にあった。祖先に顔向けできない。これは民のための政治か。自らこの文書を書きながら、着物の袖を涙で濡らした。」

というのを内外に知らせました。

この文書にある「暎嬪李氏の報告」は、ドラマでは描かれていませんが、羅景彦の「世子非行十か条」や歴史的資料とも内容が同じ部分があり、暎嬪李氏が具体的に人数なども詳細に、英祖に報告した内容になっています。恵慶宮洪氏の書いた『閑中録』にも同様の内容があります。

6日目

英祖自身が、米櫃の様子を見に来て、生死を確認させます。

まだ生きていることが分かると、誰も近づけないように見張りをしっかり頼み、死んだらすぐに知らせるように言って立ち去ります。

この頃の世子は、「苦しい。早く死にたい。」とつぶやきます。

世子が亡くなる頃の英祖の心情

13年間も代理聴政をしたにも関わらず、「世子を救ってほしい」という上書が1つも上がってこないことに気が付きます。

党派のためなら、命惜しまずたてつくのに、代理を務めた世子が罰せられても、誰も助けようとしない。

キム・サンノが背後にいるに違いない。羅景彦の凶書をあげさせたのもキム・サンノだろう。

助けの上書を出せないように防ぐために自分(英祖)を殺そうとした内容で悪事を書かせたのだ。

「世子非行十か条」は、間違いなく誇張されたのだ。我が国の代理の世子を陥れるとは、なんてむごい者たちだ。

老論の方針は、党に相応しい人物を選ぶことだった。それが狙いだ。世子が気に入らず、切り捨てたのだ。

老論が父子の不仲の隙を狙ったのだ。策略にハマってしまった。可哀そうなことをした。わしが軽率だった。

病のせいにして、世子を降格していれば、罪は消えて、父子の関係は守られた。

ソンよ。憎しみと怒りで目が濁り、お前を苦しめた。取り返しのつかないことをした。わしの息子よ。申し訳ないことをした。どうすればいいのだ。

と、涙を流しました。

そして、世子は、「私は、父上が愛して下さったと信じています。愛しているからこそ、憎むのです。やっと分かりました。愛して下さり感謝します。」と27歳の若さで息を引き取ります。

死の確認を英祖は2度行わせ、釘を抜くのに時間が掛かったことから、命日は、翌日の5月21日になっています。

ムン昭媛とキム・サンノは、死の知らせを聞いて、大喜びして笑いましたが、

民は世子のことを”米櫃大王”と呼んだそうです。若い世子の偉大な夢が党争の犠牲になったことを不憫に思った民が、名付けたものと思われているそうです。

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