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大王の道 あらすじ《ネタバレ》辛壬士禍から淑嬪チェ氏の「園」の完成まで

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英祖・第21代王(延礽君)
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韓国ドラマ「大王の道」の概要

【話数】全34話
【演出】イ・ビョンフン/代表作「イ・サン」「トンイ」「宮廷女官 チャングムの誓い」
【脚本】イム・チュン/代表作「洪國榮-ホン・グギョン-(2001年)」「張禧嬪(1981年~1982年)」「妖婦 張禧嬪(1995年)」
【制作・放送】MBC、1998年4月から8月放送

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「大王の道」思悼世子が追い込まれた経緯のまとめ《ネタバレ》

「辛壬士禍」から始まる冒頭!

ドラマの冒頭、まだ25歳の世弟の延礽君(ヨニングン)が、少論派の承司金一鏡(キム・イルギョン)に暗殺されそうになり、逃げだしている場面から始まります。

仁元王后金氏の宮殿に逃げ込み、「助けて欲しい!」と頼み、仁元王后のチマの中に隠してもらったおかげで、難を乗り切ります。

この当時、世弟の延礽君(ヨニングン)は、何度も暗殺をされそうになりながらも、何とか生き延びていたのです。

この事件を『辛壬士禍』と言い、この後、処刑される金一鏡(キム・イルギョン)の想い人の女官の仕業によって、英祖と思悼世子の間に、大きな確執が生じてしまうのでした。

▶▶『辛壬士禍とは?』(サイト内記事)

辛壬士禍とは?
辛壬士禍(シニムサファ)は、第20代朝鮮王景宗が即位した1年後1721年から1722年かけて朝鮮王朝で発生した政治的な事件です。この事件は、老論派と少論派の間の権力闘争が原因で起こりました。老論派は延礽君(後の英祖)を支持し、少論派は景宗を...

英祖の育った環境と母子( 淑嬪崔氏:トンイ)の絆

英祖は、周囲の女官たちに蔑視されても、大らかで、自分の身分を恥とも思わない強さを持つ実母淑嬪崔氏(トンイ)にたくさんの愛情を注がれたおかげで心が癒され、

温かく思い出される母の愛情や言葉がたくさん心にしみ込んでいました。

その淑嬪崔氏(トンイ)の卑しい身分の血筋であることを数十年経った今も、侮辱する罪人の声や、官僚たちの発言が減ることはありませんでした。

母淑嬪崔氏の墓も、格下の墓で、王族と同じ「陵」や「園」にしてもらうことすら許されず、辛い時は、母を思い出しては、1人、ひっそりと涙を流しました。

10歳の時、貞聖王后徐氏と結婚しますが、「美しい手だ」と褒めると、「両親に大切に育てられ、水仕事をしたことが無いからだ。」と答えると、

貞聖王后徐氏を部屋から追い出し、寵愛することが無かったため、二人の間に子を設けることはありませんでした。

このように身分差による侮辱を子どもの頃から受け続けていた英祖にとって、母の身分の低さが心の足枷やトラウマとなり、起伏の激しい気性で、気難しい王様として、周囲に恐れられ、

周囲からは「変わり者」と呼ばれていました。

思悼世子の生い立ち

英祖は側室に子宝は恵まれましたが、ほとんどが王女でした。長男の孝章世子は9歳で亡くなってしまったため、英祖は、三宗(三宗。孝宗・顕宗・肅宗)の血脈が途絶えるのではないかと心配していたところ、

40歳過ぎて次男の愃(ソン、後の思悼世子)が生まれたことで、「諸聖祖に会う面目が立った!喜びと歓喜の気持ちは至極であり、感慨も深い。」と述べ、大喜びをしました。

英祖は直ちに、愃(ソン)を中殿(貞聖王后徐氏)の養子とし、翌年には世子に冊封しました。

世子となると宮殿の住まいが与えられます。

そこで、赤子の時から、女官の手で育てられました。

そのため、思悼世子は、養母となる貞聖王后徐氏には可愛がられたとはいいますが、実父である英祖と実母の暎嬪李氏からの愛情を感じることなく育ち、

誰もが、親を思う詩に涙を流しても、

「どこに、涙をするところがあるのか分からない!」というほど、親子の絆は薄れていました。

また、愃(ソン)の母暎嬪李氏は、東宮殿の場所が、禧嬪張氏の住まい昌慶宮で、賜毒された就善堂(チソンダン)がある不吉な場所で、景宗の側近だった少論派の女官もいたことから、赤子の時、不安なまま東宮殿に送り出します。

そして、最初は毎日、英祖も暎嬪李氏も顔を出していたものの、女官が感じ悪いと、二人は東宮殿には、立ち寄らなくなっていきました。

思悼世子を利用した少論派の女官

まだ赤子の愃(ソン)を任せられた女官は、少論派の女官で、チェ・スギュ尚宮と景宗の側近だったハン・スギュ尚宮でした。

しかも、ハン・スギュ尚宮は『辛壬士禍』で暗殺者のリーダーであった少論派の承司金一鏡(キム・イルギョン)を恋慕っていました。

英祖の即位後、金一鏡(キム・イルギョン)は処刑されていたため、赤子の愃(ソン)に、少論派の考えを教え込み「王になったら、金一鏡の無念を晴らしてほしい」と復讐心を植え付けました。

そして、ハン尚宮は、勉学よりも、刀を持って遊ぶ「戦争ごっこ」などの遊びも容認していたため、その光景を見た英祖が、勉強よりも遊んでばかりの世子を、叱り飛ばすことも増えていきます。

まだ幼く、状況がよく分からない愃(ソン)は、時々、義兄や英祖に、

「英祖は、先王を毒殺して王になったのか?」と、尋ねることもあり、ハン尚宮は追放されたり、英祖の怒りを買うこともありました。

この英祖の逆鱗に触れる質問をしたことをきっかけに、英祖の態度は、あからさまに世子を苦しめるようなります。

英祖の嫌がらせが続く!

お互いが反感を持つようになると、親子関係は、どんどん酷くなる一方でした。

英祖は、審問の後、口をすすぎ、耳を洗うと、東宮殿(世子の住居)や七女の和協の住まいにわざと汚れた水を捨てさせるような行為を繰り返しました。(※世子のすぐ上の姉である七女の和協も、出産時に王子として生まれなかった期待外れから、世子同様に、嫌がらせの対象だったのです。)

世子は、和協に「俺たちは汚れた水と同じ身分だ」と、憤慨します。

さらに、英祖は、わざと名簿から世子の名前を外し、先王の陵墓参拝や、世子の息子(長男)の祝いの儀式にも1度も参列させなかったので、世子の憤りは増し、溝はどんどん深まっていきます。

周囲の人たちは「まるで、姑の嫁いびりを見ているようだ」と、執拗に世子を毛嫌いする英祖に困惑することも多かったのです。

英祖の側室ムン淑媛の野心

ムン女官(後の英祖の側室ムン淑媛)の実家は、大変貧しく、ムンが幼い時に、実母に少しでも食べさせてあげたいという願いから、女官見習いとして、入宮しました。

しかし、配属先は、故孝章世子の正室である賢嬪チョ氏の宮殿付きの女官でした。ここには、英祖が立ち寄ることが無いので、「側室に昇格して、王子を産みたい!」という野心のあるムン女官にとっては、墓場同然な環境でした。

そのような夢を抱いた理由には、今の世子は、親子関係が悪すぎるので、新たに王子が生まれれば、世子が廃位されるだろうと、噂されていたことにありました。

そして、いかに、自身が王の目に留まり、寵愛を受けることができるか?という画策をするような年頃に成長していました。

そんな時、賢嬪チョ氏が亡くなり、英祖が葬式会場にやってくるチャンスを、ムン女官は逃がしませんでした。

母親の淑嬪チェ氏(トンイ)に対する差別的な侮辱に敏感な反応を示す英祖の心情を逆手にとって、賢嬪チョ氏の葬式会場で、英祖の視線から急いで両手を後ろに隠すムン女官。

「何を隠したのか?」と問いただされ、「自分の荒れた卑しく汚い手です。」と答えることで、

淑嬪チェ氏(トンイ)と変わらない身分であること、英祖に母の不憫さを思い出させ、恋しく思う気持ちを自分に向かせたのです。

その後、作戦は成功し、ムン女官は英祖の寵愛を受け、英祖が60歳を目の前に、ムン淑媛として側室に迎えました。

実兄のムン・ソングクは、ムン淑媛と宮殿で会いやすいようにと、別監(ピョルガム)の職を与えてくれ、時々、英祖に、宮殿外の民の様子を報告する任務を与えられます。

実母と実兄ソングクには、「たとえ嬉しくても、贅沢な暮らしはダメよ!今まで通り、小さなボロ屋で、貧しく暮らすようにしてね。」と、貧しさを英祖にアピールしようと作戦を立てます。

実家は、たくさんの絹や米俵をもらったのにも関わらず、以前と変わらない貧しい暮らしぶりであることを、秘密裏に視察に行った内官に確認させた英祖は、以前にも増して信用し、ムン淑媛の寵愛が深まります。

さらに、ムン淑媛の企みは進み、東宮の別監と仲良くなって、世子の様子を聞き出してほしいと実兄のムン別監に指示します。

ムン淑媛は、英祖と世子の不仲を利用して、自分が王子を出産すれば、自身の息子が王位に就ける可能性があると信じ、

あらゆる謀略をして、世子の立場を悪くする風聞を流したり、英祖にさり気なく世子の悪行を吹き込んで、親子の仲違いに尽力しました。

三女の和平翁主の死と思悼世子の第1子「琔<チョン>」の誕生!

一方、ムン淑媛が、まだ女官だったころ、「英祖が世子に対して優しくなったのは、寵愛する和平翁主が懐妊中だからだ!」という流言をし、和平翁主がムン女官を追放を指示するほど怒った瞬間に産気づき、

結局、出産時に母子ともに亡くなってしまいます。

英祖は落胆しますが、その後、懐妊中だった世子嬪が出産すると、英祖は、和平翁主が世子嬪の住まいに行く夢を見たため、赤子の身体を調べてみると、

和平翁主と同じアザが同じ場所にあったため、和平翁主の生まれ変わりだと信じ込み、大喜びし寵愛します。

1歳の誕生日には、世孫として位を授け、「未来の跡継ぎが誕生した!」と宣言しますが、その喜びの席には、世子だけ出席を拒否されました。

落胆と怒りを露わにする世子の様子に、世子嬪も祝いの席に出席をせず、一緒に囲碁をしながら、慰めます。

「孟子の言葉に、天は、大任を与える前に、大きな試練を与えるとあります。今が、その時。その試練を乗り越え、自分の足りない所を補ってください。試練を乗り越える者こそ、志を完遂できると、おっしゃっています。神は、立派な君主にしたくて、試練を与えたのです。この悲しみは、将来王になった時に、きっと民の力になります。悲観的に考えずに、英祖よりも、立派な王になってください。私と息子にとっての天であられる世子様が落ち込むと、私たちは誰を信じればいいのですか?」

というような励ましに、世子も勇気づけられ、試練を乗り越えようと決意を固めます。

しかし、長男の世孫(琔)は2歳であっけなく亡くなってしまい、和平翁主の生まれ変わりと信じて寵愛し、将来の継承者を失ったことで、英祖は、悲しみにくれました。

その一方で、ムン淑媛は自分のチャンスが舞い込んだと思い、陰でひっそり笑い、新たな形勢逆転の機会を狙います。

禁書の「政院日記」事件

代理聴政を行なっていた世子は、過去の事件が書かれている禁書の「政院日記」を読みあさり、王家の悲劇的な事件『辛壬士禍』の真実を、自分の手で追求し始めるようになり、波乱を呼びました。

ある晩、深夜にも関わらず、世子嬪の殿閣に飛び込んでくる世子。「辛壬士禍は、ハン尚宮が正しかった!英祖が玉座に就いたのは、景宗王を殺して上り詰めた、謀反によるものだ。」と確信してしまったような様子に、

世子嬪は、英祖を否定しないように説得します。その結果、父親に従うのが子の道理だと受け入れてくれますが、真夜中に禁書を読んでいるらしいという噂は、東宮殿の別監からムン淑媛にも伝わります。

それを聞いて、気になった英祖は、深夜に、東宮殿の様子を外から確認し、翌朝、勉強熱心な世子を褒めるために再度訪れると、景宗時代の禁書の「政院日記」が山積みになっていました。

思わず、怒鳴りつけた英祖だが、世子は、「読んでみて、英祖が正義だと思いました!」と答えると、意外にも、英祖は怒鳴ったことを謝り、急に優しくなったので、世子は嬉しく思いました。

しかし、その後、世子は、不思議な魔力を持った占いの道に入りたいと、道士になるための修行を始め、妊婦の世子嬪やお付きの尚宮たちを困惑させます。

ムン淑媛の妊娠

ムン淑媛に懐妊の兆候が表れ、女の闘いと、王位継承問題の戦いが本格化し始めます。

世子嬪とムン淑媛の二人の懐妊は、男児を出産すれば、王位継承に大きな影響が出てくるため、ムン淑媛にとっては、必ず王子を産まなければ、宮殿で生き残れず、栄華もみれないので、

後に、出産日が近づくと、女の子を出産してしまった場合の男の子の赤ちゃんにすり替える悪だくみを実母や家族を巻き込んで始めます。

妊婦探しから、どのように門番から手荷物検査を受けずに中に入り込むか?用意周到に練習を重ね、出産日までを過ごします。

英祖に「男の子を生んでくれ!」と言われると、「男の子は考えてもいませんでした。和平王女にそっくりな女の子を産みたいと思っていました。」と答え、英祖は感心します。

ムン淑媛の懐妊が分かる頃、世子嬪は王子を産み、「祘(サン)」と名付けられます。

すでに、跡継ぎが生まれたことが、不安要素でもあったのですが、世子が廃位される可能性も大きくなるように、親子仲が悪くなるように立ち振る舞っていきます。

麻疹事件

都城で麻疹が流行し始め、宮殿でも、女官や王族たちが次々と麻疹に罹ってしまいます。

世子も麻疹に罹り、うわ言が出るほど、意識もうろうで苦しんでいました。

しかし、そのうわ言の内容に大きな問題がありました。

「ハン尚宮は正しかった。あれは謀反だ。おれが王になったら、正してやる・・。」

このうわ言を聞いたのは、洪鳳漢と外に待機していた侍医でした。このうわ言が、後に、世子を追い詰める謀略に利用されるとは、この時、想像もしていませんでした。

この麻疹の流行で、世子の姉の和協も麻疹に罹り、亡くなってしまいます。いつも世子同様に嫌がらせをしていた英祖ですが、死の知らせに「可哀そうなことをした・・」と、世子の病状の様子を見に行き、

世子は回復しそうだと分かると、喜ぶ英祖でした。

麻疹が治ると、世子は、驚悸症を発症し、書物から「雷」や「霹」などの文字を見つけると、正気を失う行動に出るようになりました。

宮中でこの噂を広めてはならいと思ったチョン尚宮は、世子嬪に侍医や暎嬪李氏には言わず、実家の洪鳳漢に治療のサポートをお願いするように頼みます。

特に、有効な治療法が見つからないため、世子嬪は、世子の日頃読む書物をこっそり確認して「雷」や「霹」の文字があるページは折り曲げて、見えないようにしておきます。

その折面をみた世子は、自分が驚悸症だということを悟り、このままでは、病が知られたら、世子を廃位され、ムン淑媛の産む王子が世子にされるかも・・。

と、世子嬪に相談します。

それに対して、世子嬪は、「すでに、病は半分治っています。後は、文字が怖くなった理由が分かれば、解決できます。」と世子を勇気づけ、克服へと導いていきます。

英祖の蕩平策と老論の戦い

老論派により、老論の長だったソン・シヨルやソン・ジュンギを文廟(儒教の創始者である孔子を祀る廟<ビョウ>)に祀りたいという上書が、却下しても相次ぐため、代理聴政の世子は、英祖に相談をします。

文廟に祀る意味
※文廟に祀ることは、その人物の功績や影響力を強調し、政治的な正当性や権威を高めるための手段として考えられます。具体的には、以下のような影響を与えようとしたと考えられます。

  • 権威の強化:その人物を祀ることで、現政権や支配者の正当性を強調し、民衆や他の政治勢力に対する影響力を強化する。
  • 歴史の再解釈:その人物の功績を強調することで、歴史を再解釈し、現政権の政策や行動を正当化する。
  • 政治的連携:その人物を祀ることで、特定の政治勢力や地域との連携を強化し、支持基盤を固める。

 

すると、英祖は少論派のイ・ジョンソンを左議政にし、老論を牽制したことへの企みだと考え、領議政のキム・ジェロとは血縁関係で、現在の老論最高権力者であるキム・サンノを右議政にすれば、

領議政キム・ジェロの方が辞退するだろう。その空いた領議政の席に、少論派のイ・ジョンソンを任命し、左議政に老論色の薄い者を任命すれば、党派の均衡が取れると考えました。

このように英祖は、自分を玉座に座らせることに貢献した老論派を牽制するため、「蕩平策」(老論派と少論派の両方から人材を登用し、党派のバランスを取ることで、党争を抑えようとする策)を、度々行っています。

このような態度を示した英祖に、老論最高権力者キム・サンノは、老論の権力者を徴集し会議を開きます。

英祖の思惑通り、血縁関係が二人も重職を務めると反感を買うので、領議政キム・ジェロは辞職したいと言ってきました。キム・サンノは、自分自身も辞職するしかない。

と考えますが、老論が玉座に座らせてあげた貢献を、英祖は忘れていることに怒りを露わにします。

英祖を王にするため「辛壬士禍」で老論は四大臣をはじめ、50人以上の老論派の重臣が殺され多くの犠牲を払ったのに、その後、30年間も平定を理由に我々の復讐を阻んだ!と、今後について相談します。

その席には、世子嬪の父である洪鳳漢もいました。「辛壬士禍」の頃はまだ出世していないため、身内に犠牲がいないから「平定派」を発言している!と、苦言を呈されます。

ところが、英祖の思惑と異なり、キム・ジェロ、キム・サンノ、イ・ジョンソンの3人が、辞職願(辞退願い)を、提出してきたので、世子は怒って、「つき返すように!」と指示します。

しかし、英祖は、結局、少論派の権力者イ・ジョンソンを領議政に、党色の薄い老論派のイ・チョンボを左議政に、再度、任命しました。

このような党派のバランスとそれぞれの能力を重要視した英祖の巧妙な統治手腕だと、評価されています。このようにして、英祖は、老論を牽制し続けていたのです。

老論派の反撃

少論派の権力者イ・ジョンソンは、「辛壬士禍」の時、老論に大きな犠牲をもたらした少論派のイ・グァンジャを師と思い、弁明して庇ってきた人物。今では、少論派の長として崇められている存在。

イ・ジョンソンは、「領議政として、不適任だ。王様の過ちを正さなければ!」と老論の長キム・サンノ。

しかも、イ・ジョンソンとパク・ムンスは、世子が幼い時から師と仰ぐ人物でもある。

「誰に先陣を切ってもらうか?」という老論の会議を開いているとき、洪鳳漢は、人づてに「世子が病み上がりのため、今は騒動を起こしてほしくない!」との言伝が出るも、「世子よりも老論が大事だ」と、反撃を企てます。

その中で、ムン淑媛の兄ムン・ソングクが英祖の情報収集役をしているから、ソングクを利用しては?という話も出ます。

しかし、最初の作戦は、領議政イ・ジョンソンを弾劾する文書が届きます。平定策に失敗した英祖は、上書を出したホン・ジュネを島流しの刑に処し、次のような論旨を内外に頒布するよう命じます。

《ドラマ内:英祖の論旨文》
この30年間、心にわだかまりがあった。その胸中を臣下全員に論旨するので、しかと読んでもらいたい。「不徳な私が玉座に座ってから30年が経つ。私を苦しめたのは”平定”だった。私がいなければ、大勢の臣下たちが命を失っていただろう。私が誠心尽くして平定しなければ、復讐の意に駆られて、互いを殺し合っただろう。国の法令は、報復するために作ったものではない。敵討ちをすれば、当事者は気持ちが晴れるだろうが、報復というものは巡ってくるものだ。・・〈中略〉・・これまでの30年間の私の政策は、無駄だったと認識した。臣下たちに問う。東の果ての朝鮮半島に、王は存在しないのか?私の見解は、党だけが存在して、国と民はいない。臣下だけがいて、王はいないようだ。」

と、強い意志を表明した。

譲位騒動が勃発!

ホン・ジュネの島流し騒動後、強い意志を表明したにも拘らず、さらに、ホン・ジュネを擁護する上書が届きました。

先日出した王からの論旨が無視されたのです!

英祖は「世子を犠牲にしてでも、党派の争いを防がねば!30年間の努力が水の泡になる。そうなれば、国が崩壊する。最終手段を使う時が来たようだ。」と、心の中で思います。

そこで、英祖は、以前、ムン・ソングクが英祖に、「民の間で二つの太陽があり、昇る太陽と沈む太陽。王様派と世子派などという話しが出る。」「先代の景宗は、英祖の差し入れたカニを食べて死んだ。」

と民に噂されていると英祖に話していたのを思い返しながら、「党争が好きなやつらだから、王様派と世子派と分かれてもおかしくない。」と。

すると、些細なことで急に世子を怒鳴りつけはじめ、突然、「王の地位を世子に譲位する!」と言い出したのです。

王の健康に問題が無い時の「譲位」の意味は?

このような王が健康に問題にない場合に「譲位」を口出すのは、臣下の忠誠心を試すときに、歴代の王もよく行なってきました。「本心で譲位してくれるのだろう!」「譲位を受け入れよう!」などの気持ちを示したものは、逆賊として処刑されるのです。かつての朝鮮王で、第3代王太宗や第14代王宣祖などは、頻繁に行い、その度に、臣下と世子は、席藁待罪を行なって許しを得てきました。太宗王については、王妃の外戚を次々と処刑したという記録もあるため、王が「譲位」を宣言することは、自分たちの生死が左右される危険な状態に陥ったことを意味していたのです。

英祖の「譲位」宣言に慌てて土下座し謝罪をし「撤回」を求める世子ですが、

英祖は、急に優しい口調で手を握り「徳を積んで民のための君主になりなさい。この国はほかの誰でもない、私たちの国だ。自らの力で立つのだ。他人(党、協力者)の力を借りるものではない。神に選ばれた者しか王になれないのだ。私が果たせなかったことを、お前に託す。皆があざ笑う”平定”も、必ず成し遂げられる。志を立てて努力しなさい。」と、励まします。

そして党争は、「雨後のたけのこ」と同じで、いくら潰そうと思っても繰り返され、「この国は、臣下だけがいて、王はいない。」と嘆くのでした。

そして、世子に近い間柄の領議政イ・ジョンソンや洪鳳漢をはじめ、その場にいた臣下も「撤回」を求めると、

(英祖)「世弟に冊封された時、断わらなかったことを後悔している。兄を毒殺した罪人扱いもされてやるせない。撤回を求めるなら、毒薬を飲む。」と、臣下に言い、大騒動になります。

領議政イ・ジョンソンや世子の席藁待罪によって、譲位は撤回されましたが、英祖は、「譲位の旨が書かれた紙は燃やせても、譲位を願う私の気持ちは燃やせない。」と涙を浮かべながらつぶやきました。

世子の自殺騒動!

その後、洪鳳漢は世子に代理聴政としての手柄をあげさせたいと思い、在位30年でまだ淑嬪チェ氏の墓が「墓」扱いを、「園」に格上げできるように、少論と老論の賛同を得られるように動きます。

そして、世子が「英祖の30年間の悲願を叶える!」という報告を還暦のお祝いの贈り物にすれば、感謝されて、少しは認めてもらえるものと信じ、世子は意気揚々と英祖に報告に向かいました。

すると、意外にも、まったく嬉しそうではない英祖の表情。

少し前に、ムン淑媛の入れ知恵を教えられていたムン・ソングクから、世子が英祖に対して敬っていない話を聞かせられたばかりだったのです。

英祖のくだらなそうな表情は、世子の悲しみと失意を増大させ、殿閣を出た後、悔しがって内官に暴力を振るったり、楼閣から飛び降り自殺を図ろうと興奮気味の世子。

見兼ねた洪鳳漢は、自分は老論でありながら、世子の師であり領議政でもあるイ・ジョンソンに、この親子関係について深夜相談するため訪問しました。

イ・ジョンソンも、世子に問題があるのではない。世子は、親孝行で、優しく、勉強熱心であると、考えていた。

そこで、洪鳳漢(老論派)は、英祖が信頼しているお二人・少論派のイ・ジョンソンと霊成君(ヨンソングン)のパク・ムンスから、英祖に、「世子に愛情を注いで欲しい」と、進言してもらえないか?と頼みます。

そして、二人は英祖に会いに行きますが、進言は、冷遇していた世孫に対しては寵愛が復活しましたが、世子に対しては無駄に終わってしまいます。

しかし、この洪鳳漢(老論派)が少論派のイ・ジョンソンの党派の異なる家を夜に訪問していたところを、ホン・ナクチュン(ホン・グギョンの父)に見られており、老論の長キム・サンノに告げ口します。

ホン・ナクチュンは、「食料をくれるなら、今後も仕えます」と約束します。米俵1俵を担いで帰ると、お腹を空かせていたグギョンきょうだいは、大喜びし、

ナクチュンは、親戚でもあり繁栄している洪鳳漢の家にお願いに行っても仕事も食料もくれずに追い帰されるため、子どもたちのためなら、魂でも売ってやる!と、決心します。

イム女官と世子の出会い

ムン淑媛から、世子は、学問の時間に馬術・弓術・刀の練習をしていると聞かされた英祖は、世子を大変叱責しました。

その叱責に腹を立てた世子は、深夜、刀を持ってどこかに出掛けていき、内官や尚宮、世子嬪は不安で青ざめます。

刀を手に出歩いている姿を、見回り中の内官に見つかりそうになった時、誰かが助けてくれました。

その人の後を追うと、世子嬪の殿閣で針仕事をしているイム女官でした。「誰の命令で、後を付けるのだ!」と首に刀を当てると、世子を慕っていて、お姿を遠くからでも拝見したくて、後を追っていたのだと答えました。

その後、森の中で、一夜を共にし、何度も森の中で密会を繰り返すようになります。

イム女官は、だんだんと態度が大きくなり、世子嬪やムン淑媛の耳にも入ります。

侍医の死

ある日、かつて、世子の麻疹の治療をしていた侍医が亡くなり、その葬式会場で料理にあやかろうとしたホン・ナクチュンは、噂話を耳にしました。

それは、麻疹で世子がうわ言を言った内容についてでした。

世子が言っていた、問題となるうわ言は「自分が王になったら、国を変える!」という言葉や、「ハン尚宮は正しかった!」という内容などでした。

それは、世子が王になったら、老論を滅亡することを意味し、本音であれば、世子は逆賊でもあるという風にも受け取れる内容だったのです。

それをお酒に酔って口にしてしまった侍医は、自死してしまったというのです。

この問題を、洪鳳漢に話すか、老論のキム・サンノに話すべきか?悩んだ挙句、麻疹の時に命を救ってくれた洪鳳漢の妻に恩返しをと思い、洪鳳漢の自宅を訪問しますが、

居合せたホン・イナンに罵倒と暴力を受けたホン・ナクチュンは、老論のキム・サンノに話すことに、気が変わります。

出産間近のムン淑媛

臨月を迎えたムン淑媛は、万が一、女の子を出産してしまった時のことを考え、男の子の赤ちゃんとすり替える準備で大忙しになっています。

妊婦の手配や、門を検査無しで、赤ちゃんを連れ込む方法、世子が側室を娶った騒動で、自分から気をそらす方法など、あらゆる手段を念入りに進めていました。

一方で、赤ちゃんのすり替えを気に留めていたイ・ジョンソンは、出産時に、赤ちゃんのすり替え阻止をするための準備を同時に進めていたのです。

不正を嫌う一本気な人で、党色が無く、官僚の職を探している人が適任でした。そして、毎日、釣り人を装い、出掛けていると、条件に合い、通化門の門番に相応しい男に出会います。

淑嬪チェ氏の「園」の完成

淑嬪チェ氏の「園」が整うと、英祖は、淑嬪チェ氏の「園」にするために、官僚たちの賛同を得た世子に冷淡な振る舞いをしてしまったことを世子に詫び、謝り、感謝を伝え、お酒を酌み交わしました。

英祖が「園」の整備に必死に動いていた時期に、ふてくされて側室を娶り、情事に明け暮れていた自分を心苦しくも思いながら、英祖の対応に喜ぶ世子でした。

完成すると、淑嬪チェ氏の位牌の前で、「園」に力添えをした世子だと紹介し、世子嬪や世孫を紹介しました。

今まで見たこともないほどの親子三代の微笑ましい光景でした。

ーードラマ後半の『あらすじ』を読むーー(近日公開予定)

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